空は、ひどく青かった。
 その青さが目に染みてザックスは何度か瞬きをした。精神はしっかりしているのに体が先に音をあげているらしい。
(しっかりしろ、俺)
 命がけの旅はこれっきりで勘弁してもらいたいものだと、笑えない冗談に口元が勝手に笑う。
 笑えるなら、まだ動ける。
 相変わらず眩しさは染みるが、少しだけ体力が戻ってきたようだった。我ながら単純さがおかしくてまた笑う。
 だが、単純で何が悪い。
 空が青いのは単純に空が青いからだ。けして怖がったりする必要なんてないとザックスは思った。
「なあ、おっさん」
 土埃をあげて進むトラックが、大きな石ころを踏んで乱暴に跳ねる。ザックスは腕を伸ばすと振動で倒れかけたクラウドの上半身を支えた。意識が混濁しているクラウドが小さくうめく。
 真面目で肩の力を抜くことが下手くそなクラウドを知るザックスの胸は、痛みを覚えた。治療の手立ては確かにミッドガルならあるかもしれない。
 だが危険な道行を選んだのはそのためだけではなかった。
「ミッドガルへはあとどのくらいだ?」
 日が昇って随分経つ。
 運良くミッドガル行きの車を見つけられたのはいいが、味方であるはずの神羅カンパニーの『敵側』に発見されてしまっては全てが水の泡だ。そんな不安がおおらかな口調に影をさしている。
「まーそうさなあーもうしばらくだなあ」
 埃まみれの男二人組を拾ってくれた気の良い運転手の、ごくのんびりとした返事に肩の力が抜けた。
 もうしばらくね、と腹の中で繰り返すと深く座りなおす。
 ここまで来たのだ。
 故郷を後にしてから追っ手とは顔を合わせていない。もうほとんど安心していいはずだ。まさか追われている側が追う側に近づこうとするなど考えはしないだろう。
 乾いた泥や長年の錆で汚れ放題の荷台はどこもかしこも固く冷たい。骨がまた音を上げかける。それを意識しないようにザックスはまた視線を上げた。ゆるりと流れる雲がところどころあるだけで、気持ちがいいくらい晴れ渡った空だった。タイヤが巻き上げる乾いた砂埃が口の中でざらざらするのも気にならない。
 何度も読み返した手紙を、もう一度取り出す。ポケットに入れておいた手紙はもう端がよれているし、折れ目も弱くなっている。乱暴な扱いをして申し訳なく思うのだが、どうしても失くしたくないから肌身離さず持っている以外になかった。
 最後に話した時、明るい声で待ってると言ったエアリスが、ひどく気を遣って書いた手紙が乾いた風に遊ばれている。
 ザックスはそれを静かに額に当てた。
(随分久しぶりになっちゃったな、エアリス。ほんとごめんな。こっちは快晴時々土まみれってとこで……)
 ほんのりと、どうしようもなくエアリスを思い出させる香りがわずかに紙に残っている。この手紙を手にすると、情けないことに心細くてたまらなくなった。剣を手にし敵と向かい合う時にも一度だって感じたことのない、恐怖に近い感情に全身を覆われる気がする。
 丁寧に手紙をしまう間も空は表情を変えていない。ザックス達などはそ知らぬ顔で、地平線から上に鎮座している。




 ややさびれた感じのする扉の陰からそっと中をうかがう。
 エアリスの華奢な背中がいつもどおり背を向けているのを確かめると、ザックスはぐっとこぶしを握り締めた。
 いつも先に気付かれてしまうから、今日こそおどろかせてやろう。
 彼女が育てている花以外に飾り気の無い教会はザックスにとってあまり愉快な場所ではない。天使に会うだけが目的の、信仰心など持ち合わせていない自分は場違いな気がするからだ。もちろんそんなことを口にしてしまえば、エアリスに呆れられてしまうだろう。胸の内にしまっておくに限ると懸命なことに悟っていた。
 手でざっと髪を整え、音を立てないようそっと扉を開ける。
 翼を隠した天使のいる教会のやわらかな空気が、いつものようにやってきたザックスと入れ替わりで出て行った。
「あっれえ?」
 間抜けな声がでた。
 とっくにザックスの方を振り向いていたエアリスは、ザックスの声にくすくす笑いだした。
 照れ隠しに頭をかきながら大またに近づくと、エアリスはすっと背筋を伸ばした。
 ザックスを笑ったわけじゃないよ? と子供っぽいほほえみが饒舌に語っている。
(なんでわかるんだろうな)
 エアリスは、自分が来るのにいつだって気付いてしまう。
 後ろから目隠ししてやろうとか、ちょっと大声を出しておどろかせてやろうとか、そういうザックスの悪戯心は成功したことがない。必ずエアリスが先に振り向いてしまうからだ。
 ソルジャー1stとして、気配を消すことに多少自信はあったが、エアリスにはどうしてか通用しないのだ。
「今日は早いね。お仕事、もう終わったのかな?」
「うーん、干されてるってとこか」
「うーん、それはご苦労様です」
 またくすくす笑いだすエアリスにザックスは微笑み返した。
 エアリスとのこういう、なんでもないやりとりは気持ちを軽くしてくれる。任務も無い宙ぶらりんにされた苛立ちもたちまち消えてしまうのだ。
「今日は花、元気そうだな」
 広い天井の隙間から差し込む光を浴びた花たちは、植物にはそれほど明るくないザックスの目にも生き生きして見えた。ここしばらくは天気が悪く、プレートの隙間から湿り気と一緒に降る雨が、エアリスの大切な花から生気を奪っていたのだ。つい一昨日も、雨の届かない長椅子に座りながらエアリスのかわいい愚痴をひとしきり聞いている。
「いっしょにお願いしたから、かな。早く太陽が出てくれますようにって」
 ザックスが気にかけてくれたことが嬉しいのだろう。ちょこんと首を傾げたエアリスに、瞳をのぞきこまれる。
 甘えた視線をこぼさず受け取りながらザックスは胸を張った。
「エアリスの頼みだもんな。頑張らないわけにはいかないだろ?」
 別にザックスが晴れにしたわけではない。晴れますようにと一緒に祈っただけだ。
 そのお祈りが届いたとエアリスは言っているのに、まるで自分が聞き届けてやったと言わんばかりの態度。
「うん、そうかも。ザックスもお願いしてくれたから、叶えてもらえたんだね、きっと」
 エアリスは小さく笑ってから、すいと横を通り抜けてまた花の世話に戻った。
 なんだか、外してしまったらしい雰囲気だ。
 それでもザックスがめげることはない。改めて彼女の笑顔の価値を噛み締める。無邪気に笑ってくれるだけで良かった。どうしてこんなに単純なんだろうと自分でも不思議なほど心が満たされる。
 エアリスの隣で膝を曲げ、雑草を引き抜こうとするとエアリスはきまって首を振る。
 やんわりとした仕草なのに、有無を言わさぬものがあって手を引っ込めるしかない。大切なことは人任せにしたくないエアリスらしい頑固さだ。彼女の手入れのおかげだろう。くたりと茎を曲げていた花が頭を天に向けている。
(いいよな、お前達は。こうやって構ってもらえてさ)
 ただ待っていればエアリスが来てくれて、それからはずっと一緒にいられる。手ずからの世話までついた至れり尽くせりが羨ましい、とザックスは胸の中でぼやいた。世話をされる小さな花達は自由に動けないだろうが、それでも羨ましいと思う。
(なあ、エアリスは一人だったよな?)
 この花々が自分が来たことを教えているんじゃないかと、最近は半ば本気で疑っている。けれどもし花が返事をしてくれたとしても、正しいことを教えてくれるかは怪しい。なにしろ無神経にも踏んづけそうになった前科があるからだ。
 それよりもとザックスは視線を移しエアリスの真剣な表情に見入る。
「ん、なあに? なにか、顔についてる?」
 どうしてザックスが、しげしげと眺めてくるのかエアリスはわからないらしい。
 小首をかしげる仕草にザックスは破顔した。
 自分以外の誰かが彼女の元を訪れたりしていないかと心配していたはずが、もっと困った顔をさせたいという欲求に変わっている。本末転倒だ。
「いやさ、不思議だなあって考えてたとこ」
「考えてたって、なにを?」
「じゃあさ、俺が何考えてたか当ててみてよ、なぞなぞだと思って。当てればなんと! ご褒美がありまーす」
「ふしぎなこと、かあ。おなかが減るのはたしかにふしぎだけど……はいはい、そんな顔、してないね」
 花を手入れする手を止めて、真剣に考えてくれている。品良くあごに添えられたエアリスの指は白く美しい。
 意外なところで大事にされていることがわかり、ザックスの顔はもっとくしゃくしゃになった。
 いつも以上に楽しそうなのはなぜだろうとあわい翠の瞳がザックスを上から下まで探り、最後に瞳同士がぶつかりあった。触れられてもいないのに首筋がくすぐったくなる。小さな肩をすくめ、エアリスは軽く首をふった。
「うーん、わからん。降参しちゃだめ、かな?」
「だめでーす、ヒントもなしでーす、付け加えると制限時間もありませーん」
 もう、とすねてしまったエアリスはザックスに向けていた意識を花達へ戻した。
 枯れてしまった花びらがやさしくエアリスの手に吸い込まれていくのを、ザックスは飽きることなく眺めていた。
 そして視線はまたエアリスへと移り繊細な頬の線、透き通るように白い肌、淡い色の唇、美しい瞳を縁取る長い睫毛をじっくりと眺めだした。花よりずっときれいだと心の底から思った。
 細い鎖骨にやわらかい栗色の髪が触れたり離れたりしている。花の世話に夢中でエアリスは気付いていない。
 髪がわざとくすぐっているように見えて、ザックスはつい手を伸ばしてしまった。自分とは全く違う。エアリスの髪があんまりやわらかく、指にからむ感触が心地よくて、どうにも手が離せなくなる。
 しばらく指でからめとって遊んでいたら、とうとう叱られた。エアリスの指がいたずら好きの手の甲を軽くつねる。
「なぞなぞ、わかるまで待つんでしょ?」
 その顔に弱いんだよなあと口の中でつぶやく。無邪気な瞳が笑ってくれると、ザックスは有頂天になりそうだった。
「悪い。待ちきれなかった」
 髪で遊ぶのをやめた手が自然とエアリスの頬に添えられる。
 やわらかい頬は、少し熱っぽい。
 反射的に少しのとまどいを浮かべた瞳に構わず強い力で引き寄せた。瞼が閉じられてしまうのは寂しい。もっと間近でエアリスを見せてもらいたいし、空の色だという魔晄を浴びた瞳をすぐ近くで見せたい。
 バランスを崩したエアリスを胸で受け止めながら、キスをする。誰が見てたって構うものか。こんなにも愛おしい少女がすぐ近くにいるというのに。
「なあ、俺が来たときはあんな顔しなくていいんだ」
 もたれかかっていたエアリスが、少し力を込めてザックスの胸を押し離れた。
「ザックスが早く来ないかなあって、考えてちゃだめ?」
 離れてしまったあまい唇がさびしく笑っている。甘えてくれているはずなのに、どうしても距離を感じてしまう。
(……やっぱり、教えてくれないんだな)
 来訪者を振り返るとき、エアリスはほほえんでいなかった。
 犯してもいない罪の裁きを待つ、諦めにも似た表情を一瞬だけ浮かべるのを、ザックスはとっくに気付いている。
 エアリスが普通ではないこと、最後の古代種だといわれているのを知るのに初めて出会ってから時間はかからなかった。ザックスのような好意を持つ来訪者は片手で数えられる。そのせいで、無意識に浮かべるのが習慣になってしまったのだろう。
 古代種の彼女を迎えにきたと大手を振る来訪者を追い返すにはそれしかなかったからだ。
 悪い癖だとザックスは苦く思っている。エアリスがこんな風に頑なになる必要など、どこにもない。
 世界に一人きりの古代種だと言われてもザックスにはぴんとこなかった。
 笑顔が見たい、大切なたった一人の女の子としか思えない。
 一体誰が、笑顔の似合うエアリスに余計な表情を覚えさせたのだろう。
 もし犯人がいたら、ぶん殴ってやるとザックスは何度も繰り返した決意をさらに堅くする。
 もしも、万が一ツォンだったとしても思い切り殴ってやるつもりだ。
 とにかく、まだ時期ではないということだ。
 もっとエアリスを知りたいとザックスは強く思う。だが無理強いはしたくない。
 エアリスのことは、エアリス自身から教えてほしかった。
「それマジ? そんなに待ち遠しい? どれくらい?」
 調子に乗ってもう一度引き寄せようとしたら、するりと逃げられてしまった。
 服についたほこりくずをぱたぱたと払い、前髪を整えたエアリスは手入れの行き届いた花達に満足そうだ。
「だーめ、教えてあげません。それよりわたしね、今はザックスと散歩したい気分なんだけど、どうかな?」
 それ反則だよなあと口の中でつぶやきながらザックスも立ち上がった。
「俺も丁度、エアリスと散歩したい気分になったところ」
 やわらかい髪を飾るリボンがうれしそうに揺れる。早く行こうと無邪気な瞳が急かしていた。
 想像以上に堅い守りは一番の難問だ。これでも手探りで接しているつもりのザックスは、頭が痛くてかなわない。
(急ぐなよ、俺。こういうのは焦るのが一番まずいんだ)
 屈託のない笑顔を向けてくれるのだから、いつか話してくれる。
 それまでは辛抱強く待とう。時間をかけて、ゆっくりエアリスを知ろう。
 なにしろ、エアリスの笑顔は不思議と心を穏やかにしてくれるのだ。曇らせてしまうなんてもったいない。
 華奢な手を握ると、エアリスの頬がほんの少し染まるのがわかる。こうした瞬間がザックスにはどんなものにも代えがたいほど大切だった。手に力を込め、かがんで染まった頬にかるくキスを落とす。くすぐったそうに笑うエアリスの声が、耳に届いた。




「助かったよ。俺達は、ここで、充分だ」
 荷台からクラウドの体を下ろしながらザックスは大声で言った。
 年代物のエンジンが吐き出す騒音の上をいく大声に、二人を運んでくれた気の良い運転手は冗談ぽく耳を塞いだ。ゲートまで乗っていきゃあいいと親切なことまで言ってくれるので、思わず顔がゆるむ。ありがたい申し出だったが、ザックスは朗らかな笑顔で辞退した。
「うれしいけど、ほらこいつ、この通り乗り物に弱くってさ」
 ぐったりとザックスの肩を借りる口も利けないほどに弱ったクラウドを見る目は同情的だ。
「ぶらぶら歩いてりゃ気分も良くなる。ま、のんびり帰るよ」
 ミッドガルは東だからなと親切な運転手のしゃがれた声が砂埃に紛れるまで見送った。
 残ったのは自分達だけなのを確かめ歩き出す。のんびりしている暇はない。乾いた岩場の向こうに見えるッドガルは青空の下ではやけにでかい影のようだった。
ブーツと踏まれた石がこすれあう音がやけに響く。クラウドの体を支えながらの歩みはひどく遅い。
「もうすぐだ、クラウド。もうすぐだからな」
 自分との他愛も無い時間を喜ぶエアリスは、その時間を壊したくなかったのか、何も話さなかった。
(エアリス)
 一歩踏みしめるごとに苦いものが胃からせりあがってくる。ミッドガルが近くになればなるほど、クラウドの体が重く感じられた。彼を巻き込もうとしている罪悪感がそうさせるのだろうか。
 ザックスは腹に力を込めひときわ明るい声を出した。
「あの子に会ったら、お前も元気になるって。なんたって天使だからな」
 うれしいこと、たのしいことを大切にするエアリスは、空を怖いと言った。
 どうして怖いのだろうとザックスは考えたのに、自分は聞かなかった。
 頭の中はエアリスのことでいっぱいで、うっかりしたらクラウドをずり落としてしまいそうだ。慌てて支え直していると、口の中に苦いものが広がってくる。
(なにが待つだ)
 自分の思い上がりに気付いたのは、あのガラスケースから抜け出した後だった。記録ファイルに、ザックスは全て目にした。自分が施されたであろう実験よりもはるかに早く『古代種』を復活させるおぞましい計画は進められていた。
 世界にたった一人残されたエアリスがどれほど孤独だったかを、ようやく思い知った。
 あんな顔をさせたのは自分だとやっと気付いた。
 だがもう、けしてそんな顔をさせない。もう待たせない。
 たとえば、手紙には自分の気持ちを正直に書くことが大事だと、教えてやるのだ。
 長い間働くことのできなかった分を取り返そうとするかのように、思い出ばかりが頭を巡っている。服を通してエアリスからもらった手紙が歩くたびに形を変えているのがわかった。残りを受け取れなかったことが惜しくてならない。
エアリスは、笑顔で振り返ってくれるだろうか。寂しさを殺してしまっていないだろうか。
 いいや、寂しい思いは十分させた。
 これからは違う。楽しい時間をたくさん過ごそう。
(この空を、見せてやる)
「クラウド、見えるか。ミッドガルだ」