特に腑に落ちないのは、谷と呼ばれていたのにやたらと上り階段が多いところだ。
(まるで迷路だな、ここは)
 うんざりするほど長い階段を進んでいると、クラウドは自分が蟻の巣の中を進んでいるような錯覚を覚えた。実際ここコスモキャニオンは、偏屈者の巣窟といってもいい。
(いいのか、そんなこと言って)
 たしかにレッドXVを怒らせてしまうだろう。まだ少年を抜けきらない彼にがぶりとやられるところを想像した自分に、クラウドは苦笑した。
(ああ、それにしても驚いたな。人、じゃないか。獣は見かけによらないんだな)
 そっちこそ口が過ぎるとクラウドが苦々しく思う前に、ぽっかりと広い空間に出た。
 大人二人がやっとすれ違える通路の先は天井も高く、赤々と焚かれた明かり火の油のにおいがうっすらとただよっている。どこからか風が通っているのか、湿っぽさはまったくなかった。物珍しさにクラウドは思わず首をめぐらせた。
 外から見た頑強な岩山の中が、これほど居心地良く作られていることに素直に驚いたのだ。
 そういえば、進んできた赤土色の岩壁も階段も表面もなめらかで、歩きにくいことはなかった。蟻の巣なんて、とんでもない。すずやかな瞳が、ほんの少しやわらいだ。
 広間には様々な人が集まっていた。片隅で熱心に書き物をしている研究者風の男もいれば、独特の染め布の服を着た土地の女達が談笑している。
 谷の子供達が集まった一際がやがやしているほうに目をやったクラウドは、あやうく妙な声を上げるところだった。
(いないと思えば…)
 エアリスが、ちゃっかりとまぎれこんでいる。
 プラネタリウムから降りてすぐにいなくなってしまったので探していたのだが、心配する必要はなかったようだ。
 呆れるよりもおかしさが先に立ち、クラウドは珍しく口元をゆるませた。

 あれがこの谷の学校なのだろう。目の詰まった大きな敷物に、子供達は思い思いに座っている。教科書はなく、皆の目は輪の中心にいる老人に向けられていた。長老の話を、子供達は真剣に聞いている。
 クラウドは斜め後ろの、少し離れた壁に背を預けた。
 子供達以上に真剣なまなざしをしたエアリスの邪魔をしたくなかったのだ。
(星についての話か)
 さあね、とクラウドはうそぶいた。自分の考えの邪魔もされたくない。
 隣に座っている少女に袖を引かれたエアリスは、一言二言交わすと楽しそうに笑った。すっかりうちとけている様子に、クラウドは自分が杞憂を抱いている心地になってきた。
(古代種のことも、ここでならわかるかもしれないからな)
 うるさい。
 かるく首を振り頭から締め出す。クラウドの苛立ちが伝わったのか、声はそれ以上聞こえなくなった。
 長く息を吐き下ろしていた視線を元に戻す。クラウドはぎくりとした。いつもの無邪気な笑顔ではない、深く濡れた瞳があった。エアリスの瞳に浮かんでいるのは悲しみの色ではないのに、クラウドは喉を絞められたように感じた。
 エアリスはただ静かに長老の話に耳を傾けている。どんな話をしているかは、ここからでは聞き取れない。
「エアリス」
 止める間もなく、声を出して呼んでいた。
 気がついたエアリスが、長老と子供達にことわってこちらに駆け寄ってくる。
「な〜に?」
 いつもとまったく変わらないエアリスに、クラウドは無意識にほっとした。
「探してたんだ」
「探してたって、わたしを?」
「……頼むから何も言わずにふらふらするのはやめてくれ。俺はあんたのボディーガードなんだ」
 ちょっとびっくりしたように目を丸くしたエアリスは、すぐにほほえんだ。
「うんうん。さすが、頼もしいボディーガードさん。お仕事ごくろうさまであります」
 そういうことじゃない、とクラウドは疲れたように溜息をついた。
「せめてどこに行くかぐらいは話してくれ。でないとまたあんたを探して歩き回らなきゃいけなくなる」
「はっ、了解です」
 楽しそうなエアリスに、クラウドも肩をすくめるしかない。
「あ、クラウド、もしかして怒った?」
「別に」
「ほんとうかな〜? クールなお顔が、くずれていますけど、気のせいかな?」
 はっとして顔に手をやるが、クラウドは元々あまり表情を表に出すほうではなかった。ばつが悪そうに顔を背けると、エアリスはくすぐったそうに笑った。
「うそうそ、冗談。ごめんね、探させちゃって」
 エアリスがまだ笑っているので、クラウドは少し腹を立てた。
「笑いごとじゃない。あんたにもしものことがあってからじゃ遅いんだ」
「わかってる。でもね、うれしくて」
「は?」
「クラウドが、心配してくれたから」
 すっとクラウドの隣に並び、エアリスも壁に背を預ける。
 ほんのりと頬が染まっているように見えるのは、明かり火のせいだろうか。
「長老さん達、とてもたくさんのこと知ってる。わたしも初めて聞くこと、たくさんあった」
 エアリスはいったん言葉を区切ると、唇をしめらせた。
「たくさんありすぎて整理しきれてない、かな。頭の中、いっぱいでぐるぐるしちゃって」
 おおげさに頭を抱えてみせる仕草はほんとうの子供よりも子供っぽいのに、桜色の唇が語る言葉はずっしりと重みがある。クラウドはふと、自分がエアリスの言葉を一言たりとも聞き漏らさないよう注意しているのに気づいた。
「長老さん達ね、星のことも詳しいし、いろいろ教えてくれるの。それでももっとたくさん、知りたいんだって」
 入り口の番人も、たしかそんなことを言っていた。
 学者というと狂気じみた男くらいしか頭に浮かばず、谷にあんな奴が溢れるところを想像したクラウドは気分が悪くなりそうだった。
「わたし、今までなあんにも知らなかったんだなあって、恥ずかしくなっちゃった」
 照れくさそうにエアリスが視線を伏せると、目元がうすい影を帯びる。長い睫毛が作った影に、クラウドはしばし見入った。
 なぜだろう。今にもエアリスが消えてしまいそうで、手を伸ばさずにいられない。
 あと少しでやわらかい頬に触れるというとこで、クラウドは我を取り戻した。動きたがる手に力を入れて元の位置に戻すと、首を振った。
「悪いが、俺にはあんたが何を言いたいのかよくわからない」
「そうなの。ほんと言うとね、わたしもさっぱりわからなくって」
 エアリスがしみじみと頷くものだから、クラウドは急いで言い直した。
「そうじゃない、あんたが変だとこっちの調子まで狂うんだ」
「んん? それって、どういうことかな、クラウドくん?」
 言い直したつもりが変な波風を立ててしまう。やはり、こういう場面は苦手だ。
「だから、わからないことがあるなら一人で考えないで、俺でも誰でもいいからつかまえて、何でも話せばいい」
 エアリスが笑っていないと、ひどく落ち着かなくなる。
 少なくとも自分はそうだ。慣れない土地で探し歩いたり、見つけたら見つけたで心底ほっとしている。
 いったいいつから、こうなのだろう。
 二人とも、しばらく黙っていた。クラウドはともかく、エアリスまで黙ってしまうのは珍しい。勢いで言ったことを、クラウドは後悔し始めていた。
「ね、クラウド」
「なんだ」
「ありがと、励ましてくれて。ふふ、デートもう一回追加しちゃおっかな」
 柄にもなく顔が熱くなる。ふいと顔をそむけたクラウドを、エアリスはくすくす笑った。
「わたし、もうすこし教わってくるね。もっとちゃんとわかりたいから。変なのは中途半端だから、だと思う」
 そう言うと、エアリスはまた戻ろうとする。
 クラウドはなぜかあわてた。もっと何か、言うべきことがあるような気がする。
「エアリス」
 華奢な背中に声をかけると、エアリスはすぐに振り向いた。
「忘れるな、あんたは一人じゃないんだ」
 エアリスが、笑顔になる。いつもの無邪気な、胸のあたりがあたたかくなる笑顔だった。
「うん、ありがと! クラウドも、ね」
 心臓が、はねるように強く打ち始めたのを、クラウドはなかなか認められなかった。