上げた視線を、汚れたような鈍色の天井が遮る。途端に、自分が考え事をしていたのを、ザックスは思い出した。
 空を見上げる癖は、決まってエアリスのことを考えている時に現れる。ザックスが自分の癖に気付いたのは、今のようにプレートを見上げた時だった。
(見せてやりたいのは、もっとでかい空だっての)
 ザックスは珍しくぼやいたが、すぐに目線を戻した。手に入れた戦利品を見せたくて、歩調はいつもより早い。考え事をしていても、足はちゃんと戻る道を知っていた。
 と、教会横の山と積まれたガレキの横で、ザックスは足を止めた。エアリス以外ではスラムでの数少ない味方を見かけ、勝手に口元が緩む。少年と知り合ったのは、天使との、あの運命的な出会いの日だったと思い出していた。
「よう、ドロボウ少年」
 振り向いた少年は、ザックスが脇に抱えている木材に、意外そうな顔をした。
「あれ、兄ちゃん、ワゴンの材料もう見つけたの?」
 ん? とザックスは内心首を傾げた。ワゴンのことを、少年に話した覚えはない。だが、顔には出さなかった。
「おうよ、この通り大収穫だ」
 ザックスの自慢げな様子に、少年はいかにも不審そうに眉を寄せた。
「まさか盗んできたんじゃないよね?」
「おまえじゃあるまいし、そこらはわきまえてるって。ちゃんと頼んで譲ってもらったんだ」
「ふーん……」
「おい、信用してないだろ?」
 エアリスの為なんだ、とあちこちで誠心誠意頼み込んできたばかりのザックスは、心外だという顔になる。
「まあ一応信じてるよ。兄ちゃんがどろぼうしてたら、エアリスが悲しむもんな」
「ったく、口の減らないガキだ」
 頭をかるく小突いてやると、少年は歯を見せて笑った。
「ところでさ、ソルジャーって暇なの?」
 これも話した覚えはなかったが、顔に出さなかった。ザックスの勘は、慎重にいったほうがいいと報せている。エアリスに関することほど、ザックスの勘は、よく働いてくれるのだ。
「だから、バカにすんなって。俺くらいになれば、スケジュールの都合なんていくらでもつけられるっての」
「あっそ。まあでも安心してよ。神羅をクビになってもエアリスには内緒にしとくからさ」
「そりゃどうも」
 スラム育ちの口の悪い少年に、ザックスは肩をすくめるしかなかった。それでも少年が、エアリスを大切に思っていることに変わりはない。いわば自分たちは同胞なのだ。そう思っていれば、あまり腹も立たない。
「おまえ、さっきは何探してたんだ? 今度は財布を落としたって言うんじゃないだろうな」
「ちがうよ、宝物を出してたんだ。ほら、これが僕のお宝入れ」
 使い古された神羅製のマスクはところどころ泥がこびりついている。たしかに大切なものをしまっているとは、誰も思わないだろう。
「なんつーか、ひじょーに珍しい宝箱だな」
「こんなものに宝物が入ってるなんて、誰も思わないとこが盲点なんだよね」
 こんなものと言われてしまい、一応は神羅のソルジャーであるザックスは苦笑するしかない。
「相変わらず悪知恵働くのな、おまえ」
 少年はマスクの中に手を突っ込むと、表紙が少し汚れた本を取り出した。宝物を見つけたときのように、ザックスは顔を輝かせた。
「お、入れ物はともかく、中味はいいもんだな」
「でしょ。前もって準備しておいたんだ。兄ちゃんだって参考書がなきゃ作れないだろうしね」
「そういやそうだな、俺、素人だし」
 ザックスが、たった今思い出したというようにつぶやくので、少年は呆れ顔になった。
「しっかりしてよ、エアリスをよろこばせるんだろ?」
「あったりまえだろ。言われなくてもそのつもりだって」
「そうだからいまいち頼りないんだよなあ」
「だから、少しは信用しろっての」
 実際の所、そこまで無計画だったわけではない。子供の頃は、廃材を集めては組み立てることを繰り返していたのだ。第一、エアリスの為なのだから、やれないはずがない。
 ザックスにはそういう、根拠のない自信すらあった。
 少年が本を差し出したので、ザックスは怪訝そうな顔をする。エアリスが待っている教会は、もうすぐそこだ。
「おまえ、一緒に来ないのか?」
「何言ってんのさ。僕みたいな子供がいたら、若い人同士の邪魔になるってくらいわかってるよ」
 さも当然というように言い放つので、今度はザックスが呆れ顔になる番だった。
「若い人同士って、おまえな、ちゃんと意味わかって使ってるか?」
「スラムじゃ空気が読めないと暮らしてけないんだよ、兄ちゃん」
「お気遣い痛み入るぜまったく。どうもありがとうございます、ってか」
 膝を折り、生意気な少年と目線を合わせる。ザックスは不意ににやりと笑った。さっと手を伸ばすと、お返しとばかりに、生意気な少年の頭をくしゃくしゃにしてやる。うるさそうに身じろぎをしながら、少年も口を開けて笑った。その口が、ふと閉じられる。
「……エアリスさ、ワゴン作るんだって、前から楽しみにしてたんだよ」
 小声でつぶやかれた言葉に、ザックスは真面目な顔に戻った。
「知らないの? 最近のエアリスって、兄ちゃんのことばっかり話すんだよ」
「……どんなことだよ? たとえば?」
「おみやげ持ってきてくれたとか、タイミングよく電話あったとか、がんばってくれてるとか」
「ほうほう、それから?」
「とにかく、兄ちゃんのことばっかりでさ」
「そりゃ初耳だ、ちっとも知らなかったな」
 緩みそうになる頬を、ザックスはさりげなくを装い指で押さえた。
(やっぱ、そうか)
 ワゴンのこと、自分がソルジャーであることを、エアリスが少年に話していた。それは、エアリスの関心事が自分であると、証明しているのと同じだった。
 どんな表情で、どんな風に話していたのだろう。
 詳しく聞いてみたかったが、浮かれる気持ちとは裏腹に、ザックスの胸の中には、もう一つ別の思いが生まれていた。
「忙しいのはわかるけど、ちゃんと会いにいってやれよな。エアリス、兄ちゃんが来るの楽しみにしてるんだからさ」
「わかってる、いつでも努力してるって。そこは信用しろよ?」
 ザックスの目に、いつになく真剣な色を見たのか、少年は黙って頷いた。
「それより知ってるか? エアリスっておまえのことも話してるんだぞ」
「なにをさ」
「たとえばだな、おまえの母ちゃんが元気になったって、うれしそうだったとかな」
「エアリスが? ほんと?」
 ああ、とザックスが力強く頷くと、少年はひどく照れくさそうに笑った。やはり、こういうところは子供だ。
 ザックスは目を細めると、いちばんの恋敵である少年の頭に、ぽんぽんと手を乗せてやる。少年はちょっと複雑そうだったが、すぐに生意気そうな顔に戻った。
「だったら早く行ってあげなよ。あんまり待たせると愛想尽かされちゃうんじゃないの」
「おい、あんま不吉なこと言うなよな。ほんとになったら立ち直れないぞ、俺」
 冗談めかしながら、ザックスは立ち上がった。自分の半分の身長もない少年が差し出した本を、ありがたく受け取る。
「じゃあね、兄ちゃん。また材料集めて、エアリスにワゴン作ってあげような!」
 素早く踵を返した少年の背は、まだまだのびしろを残している。それはザックスに昔の自分を思い起こさせ、どこかくすぐったい感覚を呼んだ。
(教えてくれて、ありがとな)
 ザックスは、素直な気持ちでお礼を言った。きっと、少年は不思議な顔をするだろう。
 エアリスが自分のことを話していたというのは、ザックスにとって、飛び上がるほどうれしいことだった。エアリスは、自分が教会を訪れると、まぶしいほどの笑顔を見せてくれる。あの笑顔が、ザックスは好きだった。体中に力がみなぎり、どんなことでもやれる気がした。
 そうやって浮かれているから、その後ろに隠れてしまっているものを、見落としてしまう。
(……ほんと、情けないくらい鈍感だよな、俺って)
 ザックスはひとつ息をつくと、少年の背中に、湿っぽい気持ちを振り払うかのような、明るい声を送った。
「おう、もういらないって言われるくらい作ってやろうな!」
 行きかけた少年が、渋い顔でくるりと振り返る。
「こんなこと言いたくないけど、兄ちゃんさ、もうちょっと空気読む努力したほうがいいよ」
 呆気にとられて、ザックスは、言い返すのも忘れていた。



 少年とのやりとり(もちろん一部は省いて)を話すと、こらえきれなくなったのか、エアリスはくすくす笑い出してしまった。
「言われちゃったね、ザックス」
「えーえーそうです、どうせ俺は空気読めない奴ですよ」
「ううん、そんなことない。たぶん、ときどき、以外は、ね?」
「エアリス、それ、フォローになってない」
 プレートの上は、天気がいいのだろう。エアリスの花畑を照らす一筋の光が、教会の中もあたためている。人工的な明かりのみに頼ったスラムで、日の光は貴重だった。
 ここを訪れると、ザックスは心のどこかでほっとするようになっていた。かすかな土のにおいや鮮やかな花の色が故郷を思い出させるのもあるのだろう。自分から飛び出してきた故郷が懐かしいというのも、妙な話だとザックスは思う。それでも、天使のお気に入りだという場所は、ザックスにとって特別な意味合いを持っていた。
 ワゴンの材料を持ち帰ると、ザックスが想像した以上に、エアリスはよろこんでくれた。少し幼さの残る笑顔が胸に染みて、今もザックスをしあわせな気分にしている。
 さっそく少年が用意してくれた本を参考にしながら作業をはじめた。本を真ん中に、向かい合うように座っているエアリスは、まだおかしそうに笑っている。
 切り口にやすりをかける手を止めたザックスは、エアリスの顔をじっと見つめた。
「なーに?」
 エアリスが不思議そうに、ちょっと首を傾げる。
「あ、いや、えっとさ」
 どきりとして、ザックスは口ごもった。なかなか上手い言葉が見つからない。どう切り出せばいいのだろう。
「なあ、俺がいない間、何もなかったか?」
「え?」
 いきなりの問いかけに、エアリスは驚いたようにまばたきをした。ザックスの目に、からかっている色はない。それを察したのか、エアリスはワゴンの傘になる部分に針を通していた手を止めて、膝の上に置いた。
「なにも、って?」
「だからさ、ぜひとも俺に話しておかなきゃってことが、なかったか?」
「ひとつだけ、ないこともないんだけど、うーん、どうしようかな」
「お、なになに? 勿体ぶらないで教えてくれよ」
 あ、しまったとザックスが思ったときには、もう主導権は移っていた。
「ふうん、そう。どうしても、聞きたいんだ?」 
 深い碧の瞳は、子供がいたずらを企んだときのような、無邪気な色をたたえている。
「じゃあ、言っちゃおうかな。わたし、ザックスがいない間、いろんなとこで話、聞いたの。それで思ったんだ。ザックスって―」
「ちょ、ちょ、ちょい待ちエアリス、話聞いたって誰に? それに俺いきなりでまだ心の準備が」
 てんで見当違いの方向に話が進んでいる気がして、ザックスは大いに焦った。いや、こういう展開は願ってもないのだが、せめて服についた木屑を払ってから聞きたい。でないと、エアリスまで木屑まみれになってしまう。
「つよくてかっこいい、ヒーローみたいって」
「へ?」
 ぽかんと口をあけたザックスとは対照に、エアリスは話せるのがうれしくて仕方ないという顔をしている。
「スラムのモンスター、ザックスがやっつけてくれたから安心だって、みんな言ってた。アクセサリー屋さんはね、よそ者だからって誤解して悪かったって」
 ほんとは照れくさいから内緒にしてくれって頼まれたんだけど、と内緒話をするように、エアリスは声をひそめた。
 思いがけない話に、ザックスは頬に血が上るのを感じた。
 そんな風に言われたのは、初めてだ。
「だから、これはみんなからのお礼。ありがと、ザックス。あ、ちがった」
 小さく笑ったエアリスは、すっと背筋を正すと、まっすぐにザックスを見つめた。こほん、と小さくせきばらいをする。
「ありがとう、英雄さん」
 エアリスの、ちょっとすました口調があんまりかわいくて、ザックスはついにやけそうになる。そこはぐっと我慢して、ザックスも気取った表情をしてみせた。
「とんでもない。ソルジャーとして当然の事をしたまでです、お嬢さん」
 同時に、二人は笑い出した。
 スラムの住人に感謝されていたとは、ザックスはちっとも気付かなかった。だがエアリスの話を聞いていると、たしかにいくつか思い当たることがある。
 ワゴンの材料をすんなり譲ってもらえたのも、スラムの住人なりの感謝のあらわれなのだろう。
 あたたかいものが、じんわりと胸に満ちていく。エアリスが暮らす街の人々が自分を受け入れてくれたというのは、もちろんうれしい。それ以上に、エアリスの言葉は、ザックスに違う喜びを与えてくれた。
(英雄になるって、こんな気分なのか)
 いや、少し違うな、とザックスは思い直した。たとえば、セフィロスのように、新聞の一面を自分が飾ったとする。
 その時は、今のような喜びは感じないだろう。次の活躍の機会に思いを馳せるばかりで、どんなことを為したかは顧みたりしないと、ザックスには想像できた。
 ザックスの、英雄になるという夢は変わっていない。
 けれど、この喜びと英雄という肩書きが、別々の重みを持っているように感じるのはなぜだろう。
「子供たちも、ザックスのまねしてる。『ソルジャークラス1st、ザックス参上!』って。ね、どうかな、わたしもけっこう上手だと思うんだけど」
「こらこら、エアリスは真似しなくていーの」
「どうして?」
「どうしても。ま、かわいいソルジャーではあったけどな」
「もう、いじわる」
 ちょっとふくれてみせるエアリスに、ザックスは目を細めた。
 布に針を通すほっそりとした指は、剣を持つには不似合いだ。多少は身を守る術を教えたが、それは自分が傍にいないときの、エアリスの身に危険が迫った万が一の事態の為で、進んで戦わせたいわけではない。
 花に触れる指のやさしい動きを、ザックスは飽きることなく見続ける。そして今は、エルミナに仕込まれたという縫い物をする指に、見入っていた。
(エアリスを守るザックスは、ここにいるだろ?)



 長居をしすぎた、とザックスは反省していた。
 夜も更けた伍番街スラムはひっそりとしている。後片付けをしていたアクセサリー屋の店主が訝しげな視線(これはザックスが満面の笑顔でかるく会釈をしたからだ)を寄こしただけで、あとは誰ともすれ違わなかった。人気のなさを強調する、明滅を繰り返す街灯の下を過ぎながら、ザックスはしきりと反省していた。
(いくら何でも図々しかったよな。いや、いきなりお邪魔したのがそもそもまずくないか? せめてもっとマシな格好してりゃよかったなあ)
 ワゴン作りの作業は楽しく順調に進んでいたのだが、気が付くと、日がとっくに暮れている時間だった。教会にいたのに迂闊だったと、ザックスは急いでエアリスの手を引き、家まで送り届けた。きっとエアリスの帰りが遅いので心配しているだろうと、そればかり頭にあった。
 息を切らせながら玄関を叩いたザックスと、遅くなって申し訳なさそうな顔のエアリスに、エルミナは最初目を丸くしていた。ザックスが言い訳せずに頭を下げると、少し厳しい表情をしたが、すぐに母親の顔で笑った。まるで門限を忘れてしまった子供みたいだと。その声に棘はなかった。夕食をいっしょにどうかという話はさすがに遠慮したのだが、エアリスの引き止めるような瞳には勝てるはずがない。支度してくる、とエルミナといっしょに台所に引っ込んだエアリスが時折笑うのが聞こえると、ザックスは知らず知らずのうちににやけ、一人慌てた。
 結局またもや時間を失念して、こうして反省する羽目になっている。
 あれこれと楽しそうに話すエアリスと、聞き役のエルミナの穏やかな表情は、あの家に流れるあたたかな時間そのものだった。話題に混じっていたザックスが、時間を忘れたのも無理はない。
 スラムの端まで来たところで、ザックスは癖で顔を上げた。空を丸ごと覆うプレートは、何度見てもそこにある。スラムから見上げると、今のザックスは、巨大な鉄の箱に入っているかのような錯覚を覚えた。けれど、どんな場所であっても、あの家のあたたかな空間が変わることはないだろう。心地の良い家はエアリスによく似合っていた。ザックスの目には、ごく普通に暮らす女の子が映っていた。
 駅のホームにはすでに零番街方面の列車が入っている。発車を報せるベルが鳴っても、ザックスは乗り込もうとしなかった。けたたましい音を立て次第に遠ざかっていく列車を見送っても、ザックスは動こうとしない。そのまましばらく経った。
「次の列車の後はしばらく来ない。乗り遅れたら戻れなくなるぞ」
 背後からかかった声に、ザックスは振り向かなかった。
「ようやく上がりか。いつもご苦労様だな、ツォン」
 わかりやすい皮肉に返事はなかった。
 二人の男の会話はそこで終わったようだった。どちらも言葉を発することなく、列車を待っている。再びホームに入ってきた列車に、ザックスは迷いなく乗り込んだ。ツォンも後に続く。薄暗い車内にも人気はない。ザックスがどっかりと座席に腰を下ろすと、その向かいにツォンも腰を下ろした。ザックスがわざと待っていたのをわからない男ではない。
「気に入らないな」
 強い語調は列車が揺れる音にもかき消されなかった。
「女の子を四六時中監視するのがまともなやり方かよ?」
「否定はしないさ。だがこれも仕事だ」
「なーるほど、仕事だからやるってわけか。タークスも大変だな」
 以前とは確実に違う意味を込め、ザックスは投げ捨てるようにつぶやいた。
 エアリスが神羅に監視を受ける理由を、ザックスは知らない。正確には知ろうとしなかった。古代種だの何だのというのは、どうでもいい。ただ、エアリスの自由が奪われているのは見過ごせなかった。
「俺とエアリスで花を売るんだ。ミッドガルじゃ花は珍しいからな、買い手は山ほどいる」
 ザックスは口調をがらりと変え、先程までしていた世間話の続きのように話し始めた。
「すぐミッドガル中で有名になるぞ。きれいな花を、とびきりかわいい女の子が売ってるってな。おかげで次から次に客が来てそりゃあもう大忙し。ああ、安心しろよ、もちろんおさわり厳禁だ。エアリス目当てのすけべ野郎は俺が全部追っ払う。適材適所ってやつだな」
 そういうお前はすけべ野郎じゃないのか? と言いたげなツォンの視線を、ザックスは鼻で笑って受け流した。
 大きなお世話だ。俺はエアリスを傷付けたりしない。
「売り物は花だけじゃないぜ。花が欲しい客には花を売る、モンスターに困ってんなら退治してやる。そういう商売も充分ありだろ?」
 ツォンは口の端をかすかに持ち上げた。
「夢のある仕事だな」
「おうよ、夢がいっぱいの実入りもいい仕事だ」
 列車がトンネルを抜けた。蒸気を噴き出す魔晄炉が窓の外を横切る。夜通し稼働する魔晄炉を照らす投光器の明かりは、月も見えない夜空に吸い込まれるだけで、あとは黒い闇が広がっていた。
「別にミッドガルじゃなくてもいい」
 堅い座席に、深く背中を預ける。
「どこだっていいんだ。海が見えるとこでもへんぴな山奥でも、―エアリスが気に入るならどこだっていい」
 言い置いて、ザックスは束の間目を閉じた。
 目蓋の裏に、広い空の下で笑っているエアリスが見える。そこでならエアリスは自由で、寂しさを隠してしまうこともない。普通の女の子が、ごく普通に暮らすのだ。
 溜めていた息を吐き出し目を開けると、ツォンは窓の外に目をやっていた。タークスの制服に包まれた肩に、鈍い光が短い線を繰り返し描いている。少ない乗客の為に、ノイズ混じりのアナウンスが停車駅が近いことを伝えた。
「彼女が遊びに行きたいというのなら、止めはしないさ」
 ザックスはかるく目を見開いた。意外に思ったのだ。
 少女の監視という仕事も淡々とこなす男が、あっさりと言ってのけたのが意外だった。
「おい、遊びに行くんじゃないぞ。ちゃんとした計画を立ててだな」
「お前に計画性があるとは思わないが、彼女なら心配ない。昔からしたたかなところがあった」
(昔から?)
 何かが喉に引っかかって、ザックスは慌てて口を閉じた。
 目の前にいる男が、自分の知らない頃のエアリスを知っているのだと思うと、ひどく嫌な気分だった。少しは心構えが変わったつもりだったが、とんでもない。自分がまだまだ青二才であるとザックスは自覚せざるをえなかった。
 外から飛び込んできた電灯の光が、薄暗い車内を一瞬照らす。その中に、はるか遠くを見ている男の横顔が浮かんだ。黒い闇に、何かを見出したように目を細めている。
 その表情に見覚えがあるような気がして、ザックスは記憶を探った。だがいくら考えても思い当たる人物はいない。
 ではどこで見たのだろう?
 ザックスが黙り込むと、ツォンもあえて口を開こうとしなかった。
 列車が止まりドアが開くと、乗客の代わりにすうっと冷たい空気が流れ込んでくる。雨のにおいがザックスの鼻腔を触っていったかと思うと、すぐに大きな雨粒が窓を叩きはじめ、駅の様子も見えなくなった。
 ザックスは体をねじると、窓の縁に腕を置いた。再び走り出した列車の向こうはぼんやりとにじみ、景色もはっきりしなかった。この調子では、簡単にやみそうにない。
 それでもやはり、空を見上げてしまう。エアリスは雨も好きだと言っていた。雨が降る前のしっとりした空気が好きで、雨が降ると花達がよろこぶのだとうれしそうにする。
 プレートの隙間を見上げ、雨上がりの空にはしゃいでいたエアリスを思い出し、ザックスの顔は自然とほころんだ。
 エアリスは、以前よりももっと笑うようになった。
 いつも明るく、ちょっと油断するとペースにのまれてしまう。そんな中々に手強い女の子を、ザックスははじめ天使だと思った。危うくあの世にいきかけた自分を、呼びかけ助けてくれた天使だと。けれど、実際は違う。自分よりひとまわり小さい手のあたたかさや、おしゃべりなやわらかい唇は、ただの女の子のものだ。近くにいるようになってから、ザックスはますます実感している。
 芽吹いた種がゆっくりと太陽に手を伸ばすように、空がきれいだとエアリスは屈託なく笑うようになった。その瞳に、恐れの色はない。時間が止まってもいいと、若さのままに毎日を突き進むザックスは、似合わない詩的なことも思ったものだ。
 またトンネルに入った列車に、揺れる音が余計にこもる。
 濡れた窓はひょいと姿を変え、物思いにふけっていたザックスの表情を映し出した。目を細めた男がそこにいる。
 勢いよく振り向いたザックスに、ツォンは眉も動かさなかった。ザックスの言動にはやや大げさなところがあると知っていたからだろう。
 ようやく、ザックスは飲み込めた。すんなりというわけにはいかないが、どうにか喉にも引っかからず、呼吸もちゃんとできる。やたらと苦かったせいか舌がひりひりとするようだった。
「……タークスも大変だな」
「仕事だからな」
 やはりあっさりと答えたツォンは、ついでのように付け加えた。
「危険要因からの保護も仕事の内だ」
 そういうあんたこそ危険要因じゃないのか? と言いたげなザックスの目は、無視された。ふん、とつまらなそうにそっぽを向く。だが、それほど悪い気分ではない。そういう自分に、ザックスはあまり驚いていなかった。
 一層強くなった雨が、次の停車駅を告げるアナウンスもかきけしてしまった。



 寮まで駆け戻ったというのに全身が濡れるひどい雨だった。冷えた手をこすり合わせたザックスは、ずぶ濡れになっても遊んでいた子供の頃をちらりと思い出し、ふっと口元だけで笑った。
 一度時間を確かめて、かなり迷ったが、まずは熱いシャワーを浴びることにした。結果論だが、作業を途中で残してきたのは良い選択だったとザックスは思う。明日もまたエアリスに会えるのだから、一晩の我慢くらいどうってことない。時間を作ってはせっせと教会に通っている青年は、勝手に正当化して自分を納得させた。
 しかし思惑は外れぬるいシャワーしか出ず、ザックスは大いにがっかりした。同じように雨に降られた男がいるのだろう。そういえばツォンはどうしたろうか。駅に着くとさっさと消えてしまい、姿が見えなかった。それ以上話したい気分ではなかったのだろうと、ザックスはぼんやり考えた。どちらかといえば、自分もそれに近かったからだ。
 おおざっぱに髪を拭いたところで、諦め悪くもう一度時間を確かめる。なんとなく、眠ってしまうのが惜しい気がした。と、携帯の液晶が光り、呆れるくらいの素早さで手に取った。
「エアリス?」
『わ、びっくりした』
 明るい声が聞こえた途端、ザックスは我慢のことなどさっぱり忘れてしまった。
『ごめんね、もう寝ちゃったかなって思ったんだけど』
「いや全然。なんか眠れなくってさ。エアリスの声が聞きたいなって丁度考えてたとこ」
『ほんと? ふふ、タイミング、よかったかな。わたしもおんなじ。ザックスの声、聞きたかった』
「え、マジで?」
『なんてね。残念ながら、ただの連絡です。ザックス、忘れものしてたから。これ、明日渡すね。あれ、ザックス?』
 姿は見えなくても、ザックスががっくりとうなだれたのがわかったのか、エアリスは心配そうな声になる。
 ああまったく、天使にはしてやられてばかりだ。
 笑い出したいのをこらえ返事をすると、エアリスの声も楽しそうに笑っていた。改めて夕食の礼を言い、エルミナへの伝言も頼めばそれで終わるはずだったが、話は尽きなかった。エアリスと他愛のない話をしていると、雨に打たれた体も温まってくる。
(単純だよな、俺も)
 そういえば、まだ直接聞いていなかった。自分の話ばかりする女の子の噂を聞いたといったら、エアリスはどんな顔をするだろう?
「なあエアリス、ワゴンが完成したらさ──」
 その女の子に、伝えるのだ。噂話はうれしかったが、できれば直接聞きたい。それから、自分も女の子に聞いてほしい話があるのだと。

  • 10.05.03
    ザクエアアンソロ「恋におちたら」寄稿