頭に血が上っていた。
「どういうことだよ!」
 拳がスチールのデスクに叩きつけられるのを、ラザードはおどろきもせずに眺めている。
「アンジールは俺達といっしょに戦ってくれたんだ! なんでまだ、抹殺なんてつまんない命令が出てるんだよ! どうして軍が動いてるんだよ!」
 数日前の、科学部門の宝条博士を狙ったジェネシスの襲撃は、未遂に終わった。
 平時は神羅ビル全体に渡る警備が、複数箇所が同時に襲撃されたことで、ごく重要なエリアのみにしかれた。その手薄になった神羅ビルに、ジェネシスは更に警備の少ない上空から、堂々と侵入することができた。
 それを阻止できたのは、アンジールがいてくれたからだと、ザックスは思っている。
 いや、アンジールが戻らなければ、状況はもっと深刻なものになっていただろう。アンジールは、神羅を守ったのだ。ならば、もう裏切者ではないと、証明されたのと同じではないか。
「だが、それが会社の判断だ。危険因子は排除すべきだとね」
 ザックスは、ラザードをにらむように顔を上げた。
「統括は、ソルジャー統括だろ? なんとも思わないのか?」
「別段、思うところはない」
「どうして!」
「私が他でもないソルジャー統括だからだよ」
「なんだよそれ、矛盾してるだろ!」
 やれやれ、という風に、ラザードは首を振る。頭に血が上っているザックスには、それがいかにも冷たく感じられ、余計に腹立たしかった。無意識に、また拳に力がこもる。
「それくらいにしておけ」
 それまで黙っていたセフィロスが、ふいに口を開いた。
「お前では何を言っても無駄だ」
 整った顔立ちがにこりともしないで言うのを、ラザードはおかしそうに口元をゆがめた。
「セフィロス、あんたどっちの味方なんだよ?」
「どちらかの味方になった覚えはない」
「じゃあ、敵でもないってことだよな」
「さあな」
 切れ長の目は、いまいましいほどに落ち着いている。
 親友というなら、セフィロスもまたザックスと同じ立場のはずだ。大勢のソルジャーと共に姿をくらましたジェネシス、その後を追うように消えたアンジール。その二人と、セフィロスは、親友だという。
 少なからず交友のあった二人に下った抹殺指令を、英雄は、いとも簡単に失敗した。
 一緒に失敗をしでかしたザックスは、セフィロスという男がいっぺんに好きになった。
 憧れの英雄であることに変わりはない。だが、英雄というものとはまったく別の、単純に好意が動くところがあった。できれば、それは思い違いであってほしくない。
「いや、確かに私の言い方が悪かった」
 堂々たる体格の二人がにらみあう光景に、ラザードは両手を上げた。
「私が言いたかったのは、こういうことだ。アンジールはすばらしいソルジャーだ。実力、判断力、行動力、どれもソルジャーとして申し分ない。統括として彼のことは高く評価しているし、信頼もしている」
 ぱっとザックスの表情がかがやく。
「だろ? だったら」
「だが、それは過去の話だ」
 背もたれにゆっくりと体重を預けたラザードは、ザックスとセフィロスを交互に見渡した。
「アンジールは自らの判断で神羅を離れた。そして失踪したジェネシスと行動を共にしていた。被害を最小限に食い止めてくれたが、今もってその所在はわからない」
「だから?」
「私としても、抹殺の撤回を提言できないということだよ」
 すぐさま反論しようとしたザックスは、何も言い返せないのに気付いた。ちらりとセフィロスに視線をうつしてみると、セフィロスは最初から反論する気などないようだった。
「治安維持部門からも糾弾されている。襲撃事件の主犯も、ジェネシスらしいからね」
 なだめるような口調で、ラザードが続ける。
「おかげで事後処理に追われているよ。ここ数日、ベッドで眠った記憶がない」
「愚痴を聞けという任務なら拒否させてもらう」
 口の端をかすかにもちあげたセフィロスに、ラザードは頷いた。
「ああ、構わないよ。君達には、このまま待機してもらう。再び襲撃がある可能性は低いが、ないとも言い切れない。ミッドガルを守るのもソルジャーの務めだ」
「へえ、また蚊帳の外、ってわけか」
 ザックスは聞こえるようにつぶやいてみせるが、反応を見せる者はいなかった。
「それから、次の失敗は認めるわけにはいかない」
 あくまでも淡々とした口調に、ザックスの口からため息がもれる。
「俺達は信用されてないんだろ。じゃ、成功も失敗もぜんっぜん関係ないよな」
「その通りだ。だからこそ待機を命じている。今度こそ、神羅が誇るソルジャーとして相応しい選択をしてもらいたい」
 アンジール以上に模範的なソルジャーを知らないザックスは、眉をひそめた。
「つまり、抹殺されるのを指をくわえて見てろってこと」
 今度も、ザックスの独り言になる。司令室には空調の機械的な音だけがあった。
 ラザードの判断は、おそらく正しい。
 だが今回に限れば、血が通っていない。ラザードは温情あふれる人柄というわけではないが、今までは、自分達に対する気遣いがあった。それもまた、思い違いだったのだろうか。
「さて、話は以上だ。私は仕事に戻らせてもらうよ」
 ラザードが言い終わらないうちに、セフィロスは背を向け司令室を出て行こうとする。だが、ザックスは到底納得できなかった。
「撤回できないってのは、本当に統括としての判断なんだよな?」
 セフィロスが立ち止まり振り返るのを、ザックスは背中で感じた。
 ラザードの顔に浮かぶものを見逃すまいと、ザックスは目をこらす。だが、浮かんでいるのは呆れと、少々気の毒に思っている、という表情だけだった。
「ザックス、今の言葉は聞かなかったことにするよ。君はこの事態が落ち着いたら休暇をとってはどうかね」
「そりゃどうも」



 足早にホールを横切る間も、頭に上った血は冷めそうになかった。
(おかしいだろ、どうかしてる)
 人が考えていることは、わからない。身近に感じていた人物も、想像もつかない思いを抱いていると、ザックスは身に染みてわかっている。思いは人を駆り立て、突き動かし、自分だけで片付けてしまおうとする。けれど、一人で手に負えない場合だってあるのだ。
(なんで皆、なんにも言わないんだよ)
 助けを必要としているのなら、友として、手を差し伸べたい。何度手を振り払われようが、放ってはおけない。
 やはり、納得がいかない。
 抹殺などというやり方以外にも、方法があるはずだ。
「こんなの、間違ってるだろ! ソルジャーの誇りはどうしたんだよ!」
 声を荒げるザックスに、先を歩くセフィロスは、ただ首をふる。
「アンジールに直接聞いてみろ」
「どうやって?」
「あいつにソルジャーの誇りとやらが残っているなら、そのうち戻ってくるさ」
 他人事のように言うセフィロスに、ザックスは腹を立てた。あまりにも友達甲斐がない。
 途中、セフィロスが別の方向へ行こうとするのに、ザックスは声をかけた。
「待機してるんじゃないのか?」
「待機場所までは指定されていない」
「なるほど。で、どこ行くんだ?」
「うるさい子犬のいないところだ」
 またそれか、とザックスは不機嫌そうな顔になる。落ち着きのない子犬、と呼ばれてしまうのは、多少自覚があるとはいえ、あまりいい気はしない。
(誰が子犬だ、誰が)
 セフィロスはうすく笑うと、ふと思い出したように尋ねた。
「襲撃時、宝条の他に誰もいなかったんだな」
「ああ、宝条博士が一人でいてさ。俺、あの人苦手だな。ペースが違うっていうか、住んでる次元が違うっていうか。俺が避難してくれって言ってもクックックって笑ってるし……」
「そうか」
「おい、人の話くらい最後まで聞けって。でも意外だな、あんたでも誰かの心配をするなんてさ」
「宝条などどうなろうと構わない」
 やや不満げにセフィロスは訂正する。心配していたと思われたのが、よほど心外だったらしい。
「だがあんなのでも、会社には重宝されている」
 ザックスは、首を傾げた。
「それが?」
 重く息をつくと、セフィロスはかるく首を振った。
「お前は1stに向いていないな。アンジールはなぜ推薦したんだ」
「は? なんだよそれ、ケンカ売ってんのか?」
 ザックスは、むっと眉をつりあげ身構える。
「だが英雄には向いているさ」
「はあ? 英雄は、あんただろ」
 セフィロスは、もう振り返らなかった。ふん、と不満げに鼻をならしたザックスは、ソルジャーフロアに向かった。
 ザックスが、セフィロスの言葉の意味を、深く考えることはなかった。
 事は、もはやアンジールに関わることだけではない。内部の企ては、表にこそ出ていないが、深く根を張っている。恨みを晴らそうとしているのは、一人ではなかった。
 恨みもまた、人を突き動かす。ザックスがそれを知るのは、取り返しがつかないほど時間を経た後のことだった。
(余計なお世話だ)
 向いていようがいまいが関係ない。今はとにかく、アンジールを助けることが重要だ。
 ザックスの頭は、それだけに占められている。

「あ、ザックスさん。お疲れ様です」
 適当な相づちを打ちながら、ザックスは窓の外を眺めた。
 中心に据えられた神羅ビルからは、ミッドガル全体を見下ろせる。円を描くように広がるプレートには、地下から魔晄を吸い上げる魔晄炉が顔をのぞかせていた。魔晄炉はいつものように、白い煙を断続的にあげている。ザックスには、見慣れた光景だった。
 その光景の下には、おぞましいものが隠されていた。人を人と思わない実験に、また吐き気がこみ上げてくる。
 この光景を、少し前のザックスは、誇らしく思っていた。ソルジャーでなければ、見ることが出来ないものだと。無機質で味気ない街にも、どこか親しみが感じられた。それが今は、ただの鉄の塊に見える。なんだか、鉄臭さすらにおってくるようだ。
 ザックスは顔をゆがめ、故郷のゴンガガを思い出そうとした。ソルジャーになるために飛び出して以来、思い出すこともなかったが、今はあの土のにおいがひたすら恋しい。
 たっぷりと葉をたくわえた木によじのぼり、高いところから(思えば、それほど高さはなかったのだが)村を見下ろしたときの感覚を、煙突からあがる白い煙に混じった、田舎くさい黒パンが焼けるにおいを、ザックスは思い出そうとした。
「あれ、どちらへ行かれるんですか?」
 ほとんど走りながらエレベーターにかけこんだザックスは、背後から声がかかったことにも、気付かなかった。



 プレートの下は、相変わらずうすぐらい。舗装されていない道に転がった石を、ザックスはつま先で蹴った。
 外からだと、教会は廃屋に近い。廃材が山と積まれている中で、形を保っているのは奇跡だとザックスは思った。
(天使がいる場所だからかな)
 大きな扉をあけると、屋根から光が降り注いでいるのがわかった。目が明るさに慣れてくると、光の下には、ミッドガルでは珍しい花が咲いているのが見える。その傍らにいる少女に、ザックスの顔は自然とほころんだ。
「よっ」
 軽く手を上げて声をかけると、エアリスは、うれしそうにほほえんだ。
「今日、早いんだね」
「ああ、仕事なくて暇でさ」
「ふうん、そう。ひまだから、来ただけなんだ」
「もちろん忙しくても来るけど?」
「ほんとかな。ちょっと、あやしい」
「俺が信用できないって? それって心外だな。エアリスのとこなら、海の向こうからでも飛んでくるって。ほんとほんと、マジで嘘じゃない」
「うーん、ますます、あやしい」
 少しむくれてみせるエアリスの仕草は、ザックスをにこにこさせる。つられて、エアリスも笑い出してしまった。
「わかった。じゃ、ちょっとだけ信じてみる」
「おう、任せとけ。って、ちょっとだけかよ?」
「そ、ちょっと」
 かなわない、とザックスはほほえんだ。こんな言い方をされたら、もっとめろめろになってしまう。
 栗色の髪を飾るリボンが揺れる度にゆるんでしまう頬を、ザックスは指で押さえた。
(落ち着けよ、俺。にやけてるぞ)
 陽の当たる場所では、ぶ厚い鉄のプレートに覆われているのも忘れてしまいそうだ。
 花のかすかなあまい香りと、あたためられた土のにおいに、ザックスは気持ちがほぐれていくような気がした。故郷のように、ひどくなつかしくて、子供の頃に戻ったように錯覚してしまう。
 あれほどはっきりしていた憤りは、すっかり消えていた。ここへ来れば、エアリスの顔を見れば、ザックスの感情はすぐに落ち着きを取り戻す。
「見て、あたらしい芽が出てきてるの」
 エアリスが、土の上の、小さな芽を指さす。いっしょにのぞきこみながら、新しい花が咲くことを喜ぶエアリスの横顔に、ザックスは目を細めた。
「どうする? またエアリスん家に持ってくか?」
「もう少ししたら、かな。まだ動きたくないって」
「そっか」
 エアリスは、花の気持ちがわかるという。けれどザックスには、さっぱりわからない。
(なんでだろうな)
 近くにいるからわかる、とエアリスは説明してくれた。
 本当にそうなら、うらやましいとザックスは思う。命を預け合おうが、考えていることが読めないより、ずっといい。
 ザックスは生まれて初めて、挫折を味わっていた。若い心は、暗く沈んでいる。
 多少の緊張はあったが、ソルジャーになるのは難しくなかった。死にかけるほどの怪我をしたこともあるが、恐怖はなかった。自分が死ぬはずないという自信があった。いかなる困難であろうとも、自分なら乗り越えていけると思っていた。
 その自信は、全て打ち砕かれた。元々が根拠のないものであったが、ザックスには、ひどく堪えた。
 仲間を助けられないなら、いくら強いソルジャーだろうと、意味がない。
(どうすりゃいい?)
 自分には、どうすることもできないのではないか。そんな気弱さが、ザックスの中に生まれつつある。何も出来ない自分が歯がゆく、情けなかった。
「なにか、あった?」
 下からのぞきこむエアリスの瞳が近くて、ザックスはびっくりした。
「何かって?」
「目がきりきりって、つりあがってる。ほら、こーんなふうに」
 エアリスは、おおげさに目の端を吊り上げる。面食らっているザックスに、エアリスはふっとほほえんだ。
「もしかして、気づいてなかった?」
 あわてて顔に手をやったザックスは、申し訳なさそうに肩を落とした。
「悪い。ちょっと、つまんないこと考えててさ。だから別に、何でもないんだ」
 せっかくいっしょにいる時間を、台無しにしたくない。天使の住む場所は、自分の属している地上とは違う。ザックスは、そう思っていた。
「お友達のこと、かな」
 静かな瞳が、まっすぐにザックスを見つめている。
「なにか、あったの?」
 ザックスは、目をそらせなかった。穏やかな碧は心配そうな、それでも強い光を宿している。この瞳を前に、嘘をつくのは、どんなに強靱な精神を持っていようと、難しい。
「ああ、負けた負けた、俺の負けだ」
「え?」
「天使の前じゃ、ちっぽけな人間は、なんにもできやしないってこと」
 む、とエアリスの眉がつりあがる。天使と呼ばれたのが、不満らしい。けれど、ザックスは考えを改めるつもりはなかった。
 ふくれたりするのは、どこにでもいる女の子のもので、かわいらしい。けれどエアリスは、ザックスの心を簡単に見透かしてしまう。そんなことができるのは、やはり天使だからに違いない。
 どっかりと長椅子に腰掛けると、エアリスもちょこんと隣に腰掛けた。今朝まで降っていた雨のせいか、差し込む光はやわらかい。ザックスはようやく、足が勝手にここへと向かった理由が飲み込めた。
「実は、けっこう大変でさ」
 ザックスが、神羅側の話をするのは珍しい。エアリスは、少し驚いたようだった。
「……聞いても、いい?」
「うん、エアリスに聞いてほしいんだ」
 息をつくと、ザックスは言葉を選びながら、話し始めた。
「俺の友達がさ、大変な状況に追い込まれてるんだ。けどそいつ、一人で解決しようとしてて、こっちの話なんて全然聞かないんだよ」
 そっとエアリスをうかがうと、ゆっくり頷きながら聞いている。
 ザックスが仕事の話をしないのは(それが女の子との話題に相応しくないのは当然として)エアリスが神羅へいい感情を抱いていないとわかっていたからだ。だからこんな話を聞かせるのは、酷いのかもしれない。
「大変っていうのは、まあ色々あるんだけど、そいつ、孤立無援になってるんだ。なのにまだ一人でなんとかしようとして、どっか行っちまった。何してるかも、全然わかんなくてさ」
 いつになくザックスの口調は重い。話を聞いてくれるエアリスを、暗い場所に引きずり込むような負い目を、ザックスは感じていた。
「会社は、そいつを……処罰するっていうんだ。このままじゃ―」
 エアリスの様子を、ザックスは注意深く見つめた。少しでも怖がっていれば、もうこの話は打ち切ってしまうつもりだった。
 だが意外にも、エアリスは落ち着いている。伏せられた瞳と、引き結ばれた唇は、埋めた痛みを静かに思い返している表情だった。
(エアリス?)
 そっと肩を抱き寄せると、エアリスは素直に体をもたれてくれた。体が、温かい。
 ザックスは、ほっとした。いつも笑っていてくれる天使が、急に、儚く消えてしまうのではないかと思ったのだ。こんな顔をするエアリスは、初めてだ。
(馬鹿だな。こんな話聞いたら、誰だって気分が悪くなるさ)
 うかつだった、とザックスは自分を恥じた。
「んで俺は、どうしようもなくて、エアリスになぐさめてもらいにきたってわけ」
 打って変わって明るく言い放つと、ザックスは花畑に視線を移す。小さな、か弱い花の咲く、天使がいる場所。屈強な兵士が守っているわけでもないのに、侵しがたい雰囲気に包まれているのは、なぜだろう。ザックスの頭は、ぼんやりとそんなことを考えた。
「お、なんかすっきりしたぞ。エアリスが聞いてくれたからだな」
 エアリスの前なら、かっこわるい本音も不思議と恥ずかしくはなかった。嘘もつけなければ、自分を飾る必要もない。もっとも、本来のザックスは自分を大きく見せるといったことには、あまり縁がなかった。青年は無力さを思い知ったからこそ自信を失いかけ、かなりまいっていた。
 エアリスが、小さく息をつく。  
「ごめんね。どう言えばいいか、わからない」
「いいんだって、聞いてくれただけで」
「でも、考えてみよ。きっと、なにか方法、あるよ」
 ザックスはうれしくなった。そう言ってくれるだけで、どんなにかザックスの力になっているか、きっとエアリスは知らない。現に、ザックスは、体が息を吹き返しているのを感じている。プレートから落下した後、助けてもらったときのように、体が軽い。これも、エアリスの魔法なのだろうか?
「ねえ、その人と、連絡のとれる人は?」
 力なく倒れたジリアンの姿が脳裏に浮かび、ザックスの胸を鋭く貫く。
「もう、いないんだ。どこにも」
 言葉に痛みが混じっているのに気付いたエアリスは、ザックスの肩に額を寄せた。
(そうだ、方法があるはずだ、ないわけない)
 あの哀れな女性の穏やかな死に顔を思い出すほどに、ザックスはじっとしていられなくなる。自分にもできることが、あるはずだという思いに駆られる。
 知らず知らずのうちに、ザックスの手に力がこもる。その手に、一回り小さい手が重ねられ、手の甲をやさしくなでてくれた。
 ふと、ザックスは先程の表情が気になった。
 神羅の話に、エアリスはなぜ、あんな顔をしたのだろう。

 尋ねようとしたザックスは、けたたましく鳴りだした携帯端末に舌打ちした。詫びてから、立ち上がり背中を向ける。
『おいザックス、今どこにいるんだよ。さてはまた例の天使のとこか?』
 カンセルの声に急いだ気配はないので、招集ではないらしい。
「どこだっていいだろ。今すっげえ大事な場面で取り込み中なんだけど」
『待機中のくせになに言ってやがる。それよりお前がこの間探してるっていってた大きな鳥、コレル村で見かけたってやつがいたぞ』
「……それ、いつの話だ?」
『え? そうだなあ、2日くらい前じゃないか? 例の魔晄炉建設予定地からの視察団が来てたろ。その護衛で』
「わかった。じゃあ統括に言っといてくれ、一週間休み取るって」
『はああ? おまえ、それ非常識』
 最後まで聞かず、ザックスは通話を切ってしまう。
 振り返ると、待っていたエアリスは、少しさみしそうな顔をしていた。
「また、お仕事?」
「残念。今回は違う」
 ぱっと表情の明るくなるエアリスに、ザックスはほほえまずにいられない。
 手を取りエアリスを立たせると、足早に扉へ向かう。
「ねえ、どこ行くの?」
「とりあえずマーケットだな。色々必要だし、できれば足も……」
 はたとザックスは足を止めると、エアリスの顔を心配そうに眺めた。
「な、これはデートに入らないよな?」
 エアリスは、大きな瞳をぱちぱちさせ、それからくすくす笑い出した。ようやく、落ち着きのないザックスが戻ってきたからだ。



 六番街のマーケットはスラムでいちばん大きいだけあって、人で混み合っていた。片手に抱えた紙袋が、人や物にぶつかりがさがさと音を立てている。上からミッドガルを眺めていたザックスは、こんなに人がいるものなのかと内心驚いていた。
「平気か?」
 しっかりと握られているから離してしまう心配はなかったが、数歩行く毎にザックスは後ろを振り返った。
「ん、だいじょぶ」
 実際、エアリスのほうがよほどマーケットに慣れている。ザックスが買い求める品物のほとんどは、エアリスが選んでくれたおかげで、良いものが手に入った。その交渉術に、ザックスは舌を巻いたほどだ。
(かわいい顔で、押しが強いんだもんな。あれじゃ、誰も逆らえないって)
 ん? とザックスは眉を寄せた。なんだか、他人事ではないような気がする。
「ほら、ザックス、あそこは?」
「お、いいな」
 露台に山と服を積んだ古着屋の前で、二人は立ち止まった。五十の坂を越したと思われる女主人は無口なようで、むっつりと二人を見上げるとまた商品の山に目を戻した。
 おかげでじゃまされずに、じっくりと選ぶことができた。幸いなことに、古着という割りに品はどれも状態がいい。厚手の上着を何枚か手に取りながら、ザックスは周囲をよくよく警戒していた。
 プレート下のスラムについてよくない噂を聞くが、六番街は際だって風評が悪い。特に、女の子には危険だという。ザックスがぴったり隣にいるのに、エアリスに声をかけてくる図太い野郎もいて、のしてやりたい気持ちをぐっとこらえなければいけなかった。
「あ、これ、ザックスに似合いそう」
 ファーのついたジャケットをザックスの体に押し当てたエアリスは、口をつぐんでしまう。ザックスはにこにこしながら、困っている瞳をのぞきこんだ。
「お、その反応はあれだろ、あんまり似合いすぎるから惚れなおしたな?」
「うーん……」
 エアリスは、難しい顔になる。
「なんか、子供っぽい、かな。背伸びした、男の子みたい」
「もしもーし?」
「やっぱり、色が、いまいち。もうちょっと、落ち着いたかんじのにしよ」
 ひとそろい選んでから金を渡すと、女主人は愛想もなく受け取った。
 エアリスは、他の店に目を移している。それを確かめたザックスは、釣りを渡そうとする女主人の手を、場違いなほど強い力で掴んだ。
「あのさ、金を余計に受け取ってくれて、きれいめな宿とか知らない?」
 女主人は最初こそ面食らったようだが、慌てたそぶりは少しも見せなかった。
「知らないね、自分で探しな」
「まあまあそう言わないで。あんたなら教えてくれそうだから聞いたんだよ」
 低めた声と、ひとなつっこい笑顔は釣り合わない。ザックスの生来の陽気さは隠すまでもなく、笑顔に現れる。真昼の太陽のようにあけっぴろげな笑顔は、警戒心を抱かせにくい。
 釣りと、余計に紙幣を掌に握らされた女主人は、面倒くさそうにザックスの後ろを指さした。
「その通りに入った奥だよ。外の明かりはついてないが、いつもやってる」
「助かる、恩に着るよ」
 踵を返そうとすると、くんと何かに引っかかった。見ると、女主人のかぎ爪のような指が、ザックスの服を引っ掴んでいる。
「黒い服だったよ。そっちの子に、気を付けてやりな」
 ザックスの空色の瞳が、すっと細められる。辺りを見回すことはせず、ザックスは明るい笑顔になった。
「へえ、そりゃいいこと聞いたよ、あんがとな」
「え、なあに?」
 いきなり大声を出すザックスに、エアリスはびっくりしている。
「おすすめの店を教えてもらったんだ。こっちだってさ」
 まるで誰かに聞かせるように、ザックスは大げさに声を張り上げる。
 うきうきとした足取りで、教えてもらった裏通りに入っていく。にぎやかさはすぐに遠くなり、背後のざわめきになった。二人分の気配以外はない。マーケットが近くにあるとは思えないほど静かだった。
 きつくエアリスの手を握りしめながら、ザックスは、ひとつのことだけ考えていた。
 忠告されなくても、エアリスを危険にさらすつもりはない。
 奥にはたしかに明かりのついていない建物があった。窓を塞ぐ木製の鎧戸の塗装ははげていて、教えてもらわなければ宿として営業しているとはわからないだろう。
 先に立って入ると、室内は予想以上に明るかった。受付には、顔色の悪い初老の男が座っている。その鋭い目つきは、堅気ではなさそうだ。
「古着屋から紹介してもらったんだけどさ、いま部屋空いてる?」
 じろりとザックスを一瞥した受付の小男は、目でいちばん奥の、廊下に面した部屋を示した。エアリスのこわばった背中を押して先に行かせてから、多めに金を渡す。男は片手でしっかりと受け取った。
「俺さ、誰にも邪魔されたくないんだよね。だから緊急の用があるお客も、断っちゃっていいから」
 一方的に注文を出すと、小男はのろのろと頷いた。もう一枚紙幣を渡すと、よりはっきりと頷いてみせる。
 勘が当たり、ザックスは上機嫌だった。これで踏み込まれる可能性は、ぐっと低くなった。
 あてがわれた部屋は、ザックスの希望通りきれいだった。二つならんだベッドには清潔なシーツが敷かれている。やや薄暗い照明は雰囲気を作るのにぴったりだ。もしかしたら、この宿でいちばん上等な部屋かもしれない。
 ザックスはすぐに内鍵を閉めた。扉に耳をつけて外の音を聞いたが、追いかけてくる足音は聞こえなかった。
 途中確かめてみたのだが、何組かの客がいる気配はあったので、流行っていないというわけでもないのだろう。その点も、ザックスにとって都合がよかった。
「いきなり悪かった……な?」
 エアリスを振り向いたザックスは、目を丸くした。
 枕を胸の前で抱え、壁に背にしたエアリスは、ザックスをきつくにらんでいる。その瞳には、警戒する色があった。
「エアリス?」
「危険なこと慣れてるけど、これはちょっと、予想外」
「へ?」
「ずいぶん大胆なのね、ソルジャーさん?」
 エアリスは、かなり怒っている。
 顎に手を添えて考えてみたザックスは、エアリスをここまで不機嫌にさせてしまった原因に思い当たると、にいっと笑った。
「知らなかったのか? 俺は強引なんだよ。なんたってクラス1st様だからな」
 ザックスがつかつかと歩み寄れば、エアリスは後ろに下がる。逃げ場がないことを承知で、ザックスはエアリスを追い詰めた。
「ソルジャーって、みんなそうなの?」
「さあ? 少なくとも、エアリスの目の前のやつは、そうだな」
「それって、すごくがっかり、かな。憧れのヒーローとは、ぜんぜん違う」
「最初からヒーローだったら変だろ?」
「ふうん。それで、必殺技はへりくつ?」
「至極まっとうな正論と言ってほしいね」
 とん、とエアリスの背中が壁にぶつかる。細い肩の上に手をつけば、ちょうど檻のようになる。顔の真横にあるザックスの手首から肩、目へと視線をうつすエアリスは、もう口を開こうとはしなかった。
 息が通うほど近く、ザックスは首の裏がざわつくのを感じた。いつも楽しそうに話をしてくれる唇が、触れればどんなにやわらかいかを、確かめられる。
 少しかがんでしまえばいいだけだ。地上に天使をしばりつけてしまうことだって、できるだろう。
 ザックスがもっと近寄ろうと身動きすると、エアリスは小さく息をのみ、ぎゅっと目をつぶる。
 その仕草で、もう我慢できなかった。ザックスは吹き出すと、腹を押さえながら笑い出してしまった。タークスに聞きつけられても、構うものか。
 ぽかんとしたエアリスは、からかわれたと気付くと、持っている枕を力のかぎり振り上げた。


 教会を出たあとから、ザックスは妙な視線を感じていた。
 こちらをうかがいながら、けれど一定の距離を置いている。モンスターが間合いを詰めるのとは違い、明らかな意志が感じられた。距離を置きながら、伍番街、六番街にまでついてくる気配に、ザックスは確信した。つまり、自分は監視されているのだ。
(さっすが、こういうことだけは仕事早いよな)
 ソルジャークラス1stが、よからぬことを企んでいると、すでにタークスが動いているのだろう。黒い服と言えば、彼らしか考えられない。
 ザックスはむしろありがたかった。監視を受けるということは、それだけカンセルの情報が正しいと証明されるわけだ。大きな『翼』を持つ鳥がいる。頼りない情報だろうが、ザックスにとっては唯一の手がかりだ。
「ごめん! 俺が全面的に悪かった」
 そう言いながら、ザックスの顔はにやけている。先程のエアリスがあんまりかわいかったからなのだが、当人はすっかりむくれてしまっている。ベッドの上で膝を抱えたエアリスは、つんとしてこちらを向いてもくれない。
「さっき顔見知りがいてさ、うるさいから見つかりたくなかったんだよ。だからって、なんにも言わずにこんなとこに連れ込んだのは、ほんっと悪かった。ごめん」
 ザックスが両手を合わせて深々と頭を下げると、ようやくエアリスは顔を上げた。
「デート一回、とりけし」
 う、とザックスはひるむが、エアリスの目は本気だ。頷く以外に道はない。
(やっぱまずかったよなあ)
 尾行をまく為とはいえ、手段が少々突飛すぎたとザックスは反省している。デートの取り消しも、泣きたいほど痛い。だが、何事もエアリスを守る為だ。いくら嫌われようと、エアリスの為だと思えば、あきらめもつく。何よりも、巻き込んでしまうことだけは避けたい。
(……少し、欲張っときゃよかったな)
 しきりと白い首筋が思い出されるのが、ザックスは情けなかった。
 自制心は持っているつもりだったが、かなりあやういところだった。笑い出しでもしなければ、指で、唇で触れてしまいたいと思う衝動を、抑えられなかっただろう。
 けれど、恐れるように目を閉じたエアリスに、ザックスは判断が間違っていなかったことをつくづくよく知った。
 きゃしゃな体を、傷付けてしまうかもしれない。
 そのほうが、ザックスにはおそろしく感じられた。天使を、エアリスを傷付けるくらいなら、我慢しているほうが何倍も楽だ。
「な、頼むから機嫌なおしてくれよ」
 ザックスが泣きそうな顔で言うので、エアリスも、それ以上怒る気が失せてしまう。
「わかった。仲直り、してあげる」
「ほんとに?」
「でも、次は、ぜったいだめ。ちゃんと言って。いきなりは、すごく……困る」   
「もちろんわかってるって」
 飛び上がるほどに喜ぶザックスに、エアリスは小さく肩をすくめるしかなかった。
「ちょっと待っててくれ、荷物まとめちまうから」
 買い集めたものを空いたベッドに広げると、これもまた買った帆布のように丈夫な袋に詰めていく。替えの服と神羅製(横流しされたものだろう)の携帯食料、固形燃料、かさばらない毛布、そのほか野宿に必要な細々としたもの。
 旅の支度が整えられるのを、エアリスはじっと見つめている。
「俺、コレル村に行ってくる。エアリス、言ってただろ、方法が見つかるって。すごいよな、予言みたいに当たった。アンジール、さっき話した友達の手がかりがあるかもしれないんだ。そこに潜伏してるんなら、もっといいんだけどな」
 肩にかけられるよう紐を調節しながら口をしばると、荷造りは完了だ。
 ザックスはひとなつっこい目で、エアリスに笑いかけた。
「着替えたいんだけど、いい?」
「もちろん、えんりょなくどうぞ。わたし、後ろ向いてるね」
 そう? とザックスは少し残念そうだ。
(別に、見てても構わないんだけどな)
 まだ、きちんと仲直りできてないできていないのだろうか。
 服を脱いでしまうと、部屋が少し寒かった。暖房をけちっているのだろう。
 心配で、エアリスをちらりと振り返る。
 と、ふしぎそうな瞳と、目が合った。二人はあわてて姿勢を戻した。
 これには、ザックスも驚いた。監視されるなら、こちらのほうがうれしいが、どういうつもりだろう?
 ザックスは一人喉の奥で笑った。もう少しちょっかいを出してみたいが、二度怒らせるのは避けたい。それに、冗談でも、ふざけるのにいい状況ではなかった。薄暗い部屋に二人っきりだなんて、エルミナが聞いたら卒倒しそうだ。
(ま、俺がやったんだけどさ)
 つ、となにかに触れられる感触に、ザックスは息が止まりそうだった。
 いつのまに近くにいたのか、エアリスはそのやわらかい指で、ザックスの背をなぞっている。背骨のそばや、肩口の近く、脇腹あたりと、エアリスの指は動いている。くりかえしなぞったかと思えば、不思議そうにつついたりもする動きを、ザックスの神経はしつこいくらいに追っていた。
(天使のやることってのは、わからない)
 体が熱くなろうとするのを、ザックスは息を吐いてなだめた。ひとまず動きを止め、したいようにさせてやる。余計なことは、努めて考えないようにした。今、エアリスがどんな表情をしているのか、確かめてみたいという欲求は、理性でねじ伏せる。
 しばらくして、指の動きが止まった。小さな吐息が、直接感じられた。
「気は済んだ?」
 いくぶん突き放すような口調で言うと、ザックスは買ったばかりの服をさっさと着てしまう。くるりと振り返ると、ばつの悪そうな瞳をのぞきこんだ。
「珍しいのはわかるけど、ああいうことは、女の子がしちゃだめだろ?」
 エアリスは、傷跡をなぞっていた。当然、ザックスにとっては珍しくもなんともない。実戦経験が浅い頃は、それなりに怪我もした。赤黒いあざを作るなんてのは日常茶飯事で、ろくに治療もしなかったと思う。
 それが、エアリスには珍しかったのだろう。だって、戦うことを知らない天使なのだ。珍しさについ、指が伸びてしまっても、仕方ない。
「わたしにさわられるの、いや?」
 嫌なわけない、と即答したいのを、ザックスはぐっとこらえる。
「そういう意味じゃなくて」
「じゃ、どういう意味?」
「エアリス」
 ザックスは深くため息をついてから、エアリスの手を取った。
「いいから、ああいうことはやめてくれ。子供じゃないんだから。な?」
 あんないたずらをしておいて、後から子供扱いとは、我ながらなんて卑劣な手段だとつくづく嘆いた。きっと、誤解を与えてしまう。自分がエアリスを想う気持ちと、まったく正反対のことをしているのだから。
「わかった。もうしない」
 素直にうなずかれて、ザックスはあっけにとられた。
 エアリスはもう手を離していて、ザックスが脱ぎ散らかしたクラス1stの服をたたんでいる。ぱたぱたとほこりを払っている様子から、機嫌を悪くした様子はない。
「準備、これで、終わりだね。さ、行こう」
 急かされ、ザックスは我を取り戻した。これからミッドガルの外に出るというのに、これはうまくない。荷を掴むと、宿の作りから見当をつけておいた裏口を探す。思った通り、さらに暗い路地に面していた。監視されている気配もない。
「送るよ。また連絡もする」
「うん、気を付けて。きっと見つかるよ」
「そうだといいんだけどな」
 彼女の家へ向かいながら、ザックスは何度もエアリスを振り返った。
 その度に、なあに? と言うようにほほえむエアリスの笑顔は、相変わらず胸にしみる。
 一緒に行こうと、言うのは簡単だ。
 だがタークスの監視を受けている状況で、その上危険も考えられる旅にエアリスを連れていくことはできない。いつになったら彼女を自由にしてやれるのだろう。
(……空を見せるって約束したのにな)




『もしもーし、こちらザックス。ただいま橋を渡ったところ。そういや川にでっかい魚がいたけど、おみやげに持ってくか?』
 受話器越しに聞こえる元気な声に、エアリスはくすくす笑った。
「なまものだし、お気持ちだけ、ありがたくうけとっときます」
『りょうかーい』
 ザックスがミッドガルを離れて、二日目を迎えようとしている。窓の向こうに見える花畑には、そろそろ影がさしていた。ザックスのいる地方も、日が暮れる頃だろう。
「前、ちゃんと見てる? よそ見したら、あぶない」
『へーきへーき、そんなへましないって。おっと、またお客さんがお待ちかねだ。じゃあエアリス、またあとでな』
 あわただしく通話が切れ、ツーツーという音が残る。
 手持ちぶさたにコードをいじるのをやめると、エアリスはベッドに体を倒した。
 気が付くと、目で時計の針を追っている。電話があってから何分経ったか、次の電話があるのはいつか。そればかり考えてしまう。
 はあ、と息をつきながら、エアリスは頬に手を当てた。ザックスの声を聞くと、なぜか、頬がほてる。熱は、しばらくすればおさまるのだが、今日のように何度も声を聞いていると、なかなか冷めてくれない。
 ころんと寝返りをうちながら、エアリスはもう一度切ないため息をついた。
(川って、どんな色なのかな)
 母に聞かせてもらったお話では、澄んだ水は、青くきらきらと光るという。
(空みたいに?)
 あわくかがやくような、ザックスの瞳の色だろうかと、エアリスは考えた。
(ちがう)
 あの青は、空の青だ。だから青にも、色々種類があるのだろう。晴れた空がザックスの瞳の色なら、川はもっと、違う色に違いない。
 ……夜に見ると、やはり別の青に見えるのだろうか?
 目にかかるほどいた髪を、ゆっくりとはらう。
 ふわふわして落ち着かない気持ちに、エアリスは枕にほおをこすりつけた。
 目の前に手を持ってくると、指をじっと眺める。
 近くだと、びっくりするほど広かった背中。触れていると、冷たかった指先があたためられ、しびれるように感じられた。
 興味を引かれるままに触れてみたのは、いたるところに残った傷跡だった。あれが、どんなふうについたものか、エアリスにはわからない。癒えたあとにも残っているのが、ひどくふしぎで、触れずにいられなかった。
(ソルジャーだから、あれも、ふつうなの?)
 薄れてわからない傷跡もあれば、ごく最近ついたとわかる傷跡もあった。そのときエアリスは、ザックスがひどく遠い場所にいるように思えたのだ。
 新聞にのっていたウータイ戦争の功労者セフィロス。その後ろには、ザックスもいて、あの大きな剣をふるっていたのだ。
 想像してみようとしたエアリスは、途中でやめた。頭の中に、少しも浮かんでこない。
 代わりに浮かんでくるのは、ザックスの、こわれものを扱うように見つめてくれた瞳だった。
 思い出すと、きゅうっと、心臓のあたりが苦しくなる。すぐ傍まで迫られたときは、とっさに目をつぶってしまった。後から考えれば、あの反応の仕方は、ちょっと変だったとエアリスは思う。へらへらと近寄ってくる人は多いが、そういうのに、困ったことはない。
 だからザックスのときも、普通なら、困るはずなかった。
 電話のベルに、エアリスの物思いはすぐに中断される。
『もしもーし、こちらザックス』
 エアリスは目を細め、ザックスの声に聞き入った。
 声の他に、風を切る音がする。暗くなったのに、まだ進んでいるらしい。借りたというバイクの排気音は、ごろごろとして耳障りだった。
『地図だとすぐ近くだから、もう少し先行ってみるよ』
 エアリスの胸に、小さなさざめきが走った。
「だいじょぶ? もう、暗いのに」
『心配すんなって、迷ったりしないからさ。しっかし、岩、岩、岩だらけだなあ。花が一本も咲いてないってのも、けっこうさみしいもんだな。ま、俺は花とおしゃべりしてるからいいけど』
「もう。今度はそれ?」
『天使はお気に召さなかったみたいだからな』
 こんな風にくすぐったい呼ばれ方をすると、エアリスはちょっと困ってしまう。ただふつうに、名前を呼んでくれれば、それでよかった。
「そうじゃなくて。エアリス、でいいのに」
『ははー、エアリス様の仰せのままに』
「あ、大変。電話、うっかり切っちゃうかも」
『冗談、冗談だって。でさ、今日は何か変わったことなかったか?』
 昨日も、ザックスはこう尋ねてきた。心配されすぎるのも、困ってしまう。
「うーん、別に。ソルジャーも降ってこなかったし、お花たちも元気だし、おだやかな一日、だったかな」
『そっか、ならい―』
 何かが岩に跳ねたような音がし、がしゃんという音を最後に、通話が途切れた。
「……ザックス、ザックス?」
 返事は、ない。体を起こしたエアリスは、足先からのぼってきた寒気にぞくりとした。
 胸を締め付けられるような苦しさに、呼吸が乱れる。
 とにかく落ち着こう、とエアリスは深く息をすった。うっかりしたところのあるザックスだから、岩のくぼみにでもはまって、端末を取り落としたのかもしれない。しばらく待っていれば、また、もしもーしと、明るい声で連絡がくるはずだ。
 けれど、時計が二回りしても、電話は鳴らない。座っていられないほど、エアリスはそわそわしていた。
 いつもなら聞こえる星の声も、ずっと離れた場所から聞こえるようだった。
(ザックス―)
 とたとたと早足に階段を駆け下りてくる娘に、エルミナは驚いた。髪もそのままに、エアリスは外へ飛び出そうとしている。
「どこへ行くんだい、こんな時間に?」
「うん、ちょっと」
説明している時間も惜しい。
「ちょっと、外まで」



 昼夜の無いプレートの下も、地表から冷たさがのぼる季節が近づいていた。
 息を切らせな、エアリスはゲートを目指した。コレル村がどの方角かもわからないし、すぐに追いつけるとは思えない。それでも、じっとしていられなかった。
 ミッドガルと外とをつなぐ鋼鉄の扉は、すでに施錠されていた。
 苦し紛れに体当たりをしてみるが、エアリスひとりではびくともしなかった。頭上と目の前をふさぐ鉄の板に、出入りを許してくれる隙間はありそうにない。
 うろうろと扉の前を行ったり来たりしながら、エアリスはまた息苦しくなってきた。
 ザックスの瞳を思い出したときの苦しさとは違う、締め上げられるような苦しさだった。 胸にわいたあの小さなさざめきは、このことを教えていたのだ。ザックスの身には、おそらくなにかあったのだろう。こうしてはいられない、とエアリスは地面をきょろきょろと見渡す。
(あ、あれにしよ)
 手頃な大きさの石を見つけると、ゲートの脇にある非常警報装置まで持って行く。押したくなる赤いボタンをおおうガラスはほこりまみれだ。ゲートが設置されてから、誰も押したことはないのだろう。エアリスは、ぐっと力を入れ、石を頭の上に持ち上げた。
「何をするつもりだ」
 めいっぱい溜めた力が、いきなり上に抜けてしまい、エアリスはうしろによろめいた。
「ツォン?」
 背中を支えてもらいながら、エアリスは目をぱちぱちさせた。
「まだ押してないのに、早いのね」
「やはりこれを壊すつもりだったのか」
「それが、なに?」
 エアリスから取り上げた石を捨てながら、ツォンはためいきをついた。幼い頃から見ているが、エアリスの突飛な行動にはいつも驚かされる。
「……夜間にそんな格好で外出するのは、感心しないな」
 下ろしたままの栗色の髪に、ツォンは苦々しく言う。
「誰もあなたに、ほめてほしいなんて、言ってない」
 ぷいっとそっぽを向く仕草は、子供そのものだ。
 ツォンに対し、エアリスはこうやって頑なな態度をとる。好かれていないのを充分わかっているツォンは、ただ苦笑するだけだった。
 敵意のこもった瞳で見上げながら、エアリスは、ふいに笑った。
「でも、ちょうどよかった。あなたにも、いいお知らせあるの」
「お知らせとは?」
「約束の地、行きたくない?」
 かすかに目を細めるツォンに、エアリスは少し視線の角度を変えた。
「ついさっき、聞こえたの。だから、ここ開けてくれたら、」
「やめるんだ、エアリス」
 幼い子を叱るような口調に、エアリスは気圧された。
「それ以上は神羅の要請に応えるとみなし、私と同行してもらうことになる」
 はっと瞳がこおりつくのを見届けると、ツォンは小さく首を振った。
「君らしくないな。特別な心境の変化でもあったのか?」
「協力なんて、すると思う?」
「そうだな、君は神羅を嫌っている。昔からそうだった」
 ツォンに確かめられるまでもなく、わかっている。だが、昔からと聞いて、エアリスは思わず言葉を失った。
 昔埋めたはずの痛みが、またふきだし始めている。

 エアリスの中には、痛みがあった。
 自分を逃がすために、母イファルナは命を失った。星に伝えられた物語を、ゆったりと聞かせてくれた声が途切れたとき、まず一つ目の痛みが植え付けられた。
 自分の手をしっかりと握りしめてくれた母エルミナが、全身でエアリスをかばおうとする姿は、二つ目の痛みを植え付けた。
 誰かの命、あるいは犠牲によって、エアリスはこうして生きているのだ。
 胸の奥の焦げ付くような痛みに、エアリスは目をつぶった。痛みがふきこぼれそうになると、心を鎮め、あたたかい思い出を浮かべる。そうすれば、痛みを埋めることができた。
(おかあさん)
 エアリスがひとこと呼びかけると、星はすぐにあたたかく包んでくれる。人の目には見えない命の流れが、全身を包み込んでくれる。背中に流れる髪をなでるように、かすかな風が起こる。
 エアリスは、ほっとした。
 生きているだけで、普通に過ごせることで、しあわせだった。そういう思いが、エアリスの意識をおおってしまおうとしている。
 
 肩が小刻みにふるえているのに、ツォンは気付いていた。けれど、手を伸ばしてやるのはツォンの役目ではない。 
「君がこんなばかげた無茶をした理由はザックスか?」
 エアリスは、おどろいて振り返った。
「どうして」
「なるほど、わかりやすいな」
 ツォンの声には、呆れながらも、どこかさみしげな響きがある。
「彼の居場所が把握できなくなったと連絡があった。それを調査するのが、私の仕事だ」
「それ、ねほりはほり、調べつくしてやる〜、ってこと?」
 そんなのお断り、とエアリスの顔にははっきりと書いてある。ツォンは小さくほほえんだ。ようやく、いつものエアリスらしくなってきた。
「いや、君は例外だ」
 え? とエアリスは首をかしげた。
「そろそろ家へ帰ったほうがいい。夜間はモンスターも多く出没する」
「……連れていくんじゃ、ないの?」
「言っただろう。君は例外で、私は別の仕事に取りかかるとな」
 エアリスは、ますます首をかしげた。ツォンは、ときどきこんな物言いをして、エアリスをふしぎがらせる。敵であることは間違いないのに、気遣っている節すら感じられるのだ。
 けれど、胸騒ぎはまだ続いている。エアリスは、どうしてもザックスの無事を確かめたかった。でなければ、今夜は眠れそうにない。
 ぐずぐずしているエアリスに、ツォンがうながす。
「あいつなら心配ない。あれでも1stだ、めったなことはないさ」
 ツォンはすずしい顔だが、エアリスはやっぱり不安だった。なら、あの胸のさざめきはなんだったのだろう。ザックスになにかあったらと思うと、心配でたまらなくなる。
 なぜならザックスは、エアリスには想像もつかないような場所にも赴くのだ。
 ザックスの瞳を、空の色をしたやさしいまなざしを、失いたくない。
 胸に芽生えた想いは、再びエアリスを苦しくさせる。全く新しいこの気持ちがなんなのか、エアリスはまだ、知らなかった。






 まぶたの上から差し込む朝日がまぶしい。
 うっすらと目を開けたザックスは、まず真っ白な光に目をやられた。何度かまばたきを繰り返すと、やっと目が慣れてくる。
 今まで見ていた光景とギャップがありすぎて、意識が追いついていない。
 見覚えのない部屋だった。よく片付けられていて、窓際には小さな花瓶が置いてある。 外ががやがやと騒がしいのは、人が集まっているからだろう。ときおり大声が上がり、それに応えるように喝采も上がった。集会でもやっているのだろうかと、ぼうっとした頭でザックスは考えた。
「お、起きてたのか」
 西側のドアをあけて、一人の男が入ってきた。日に焼けた肌とたくましい腕を持っている。
「見てみたが、バイクのほうは大した故障じゃないな。昼前には直せるだろう。だがその端末は諦めたほうがいい。修理させられるやつが気の毒だからな」
「……ああ」
「裏の井戸で顔を洗ったらどうだ。目が覚めるぞ」
 そこでようやく、ザックスは思い出した。
 男の名はダイン。昨夜、ザックスは岩の亀裂にハンドルを取られ派手に転倒したのだ。たまたま近くにいたコレル村に住むダインが駆けつけてくれ事なきを得た。その上、コレル村を訪ねてきたというザックスを泊めてくれたのだ。
「いろいろ迷惑かけて悪い」
「いいさ」
 感謝を込めて頭を下げるザックスに、ダインはかるく手を振った。

 朝の日の元でコレルを見下ろしたザックスは、不自然にならない程度に頭上も眺めた。炭坑を懐に備えた山は、夜の狭い視界でみたままに岩がむき出しになっている。人が隠れるのによさそうな場所は、見当たらなかった。
 ダインは山脈を指さすと、説明してくれる。
「あの向こう一帯を囲んでいるのがコレル山脈だ。山を越えればコスタ・デル・ソル方面に抜けられる」
「じゃ、いつでも海に行き放題だな」
「ばかいえ、炭坑堀りに海は似合わないだろ」
 起伏の激しい山肌には、緑も見える。
「ここらに、鳥っていないのか? 噂を聞いたんだけど」
「鳥? ああ、コンドルのことか。時期を間違えたな。コンドルならとっくに巣を探しにいっちまった」
「ああ、そう……」
(残念、鳥違い、か)
結局、無駄足になってしまった。アンジールは、ここにはいない。空を飛んでいれば目立ちそうなものなのに、探しあてるほうは苦労ばかりさせられる。
(ったく、どこいっちまったんだよ)
 コレル山脈を吹きぬける冷たく乾いた風が、ザックスの頬をたたいていく。頬が、ひりひりした。
 ここから南東の方角にはザックスの故郷があるが、さすがに遠すぎて何も見えない。そういえば、もう何年も連絡をとっていない。
(おやじとおふくろ、元気にしてるかな。手紙でも書いてみるかなあ)
 高台から村へ下りると、集会はもう終わったようだった。
「今朝のにぎやかなあれ、なんかの集まりだったのか?」
「……魔晄炉の建設が決まったんだ」
 一社員として、魔晄炉が発つのはいいことだと思う。だが、ダインの口調からは、喜んでいないことがうかがえた。
「便利になるし、いいんじゃないか?」
「その代わりに、炭坑は消えて無くなる」
 ダインは、悔しそうに拳をうちあわせる。
「おやじの代よりも前から守ってきたものを、俺達の代でつぶしちまうんだ。便利になる、暮らしも楽になる。だが、大事なものをなくしてまで手に入れるものか? あんな吸い出すだけの機械になんの価値がある!」
 肩を落とすと、ダインはザックスを振り返った。
「すまない、客のおまえに愚痴をこぼしちまった」
「いいっていいって。世話になったんだ、愚痴くらいいくらでも聞くよ」
 各地で建設が決まり魔晄炉はますます人の役に立っている。そう思っていたザックスにとって、ダインの意見は新しい。
 彼の妻であるエレノアは、手作りのケーキを用意してくれていた。
「で、エアリスさんて恋人?」
 思いっきりむせながら、ザックスは美しい夫人を見上げた。
「ずっと寝言で繰り返してたから、ちょっと気になって」
「おいエレノア、そんなこと聞くもんじゃない」
「いいでしょ、ちょっとなら」
「だめだ、失礼だろ」
「あなたって石頭なんだから」
 いかにも夫婦らしいやりとりを、ザックスは眺めていた。
 魔晄炉がなくても、ダインとエレノア夫婦はしあわせそうだった。子供はまだいないと照れくさそうにつぶやいたダインに、ザックスは素直に好意を抱いた。
 と、また外が騒がしくなりはじめる。何事かと思っていると、熊のように大柄な男が飛び込んできた。
「ダイン、すげえぜ! 神羅重役様が直々に建設地を視察においでだとよ!」
「落ち着けバレット、客の前だぞ」
「おっと客がいたのか。すまねえな、騒がしくして」
「フェアだ。遅いコンドル見学をしにきたそうだ」
「よろしく」
「おう、よろしくな」
 右手で握手をしながら、ザックスはちらりと窓の外を見やった。何人かの神羅兵と、黒い服。ソルジャーがいないところを見ると、その重役様の護衛役なのだろう。
「なあダインよう、まだ納得できないか? だがよ、炭坑なんて時代遅れだぜ。これからは魔晄だ、魔晄! 魔晄炉ができりゃ、俺は女房のミーナに苦労させないで済む。お前だってそれはわかってるんだろ?」
「わかってる。だがな、俺達は」
「とにかく来い! 挨拶だ!」
 入ってきたときと同じように、どたどたと出ていくのをザックスは見送った。
 あのバレットという男は、賛成派のようだ。
 これからは魔晄……。ザックスもよく耳にする言葉だった。神羅の耳障りのいいうたい文句ではあったが、他人の口から聞くと説得力がある気がする。
 エレノアにことわってから、ザックスは席を立った。
 外は、風に舞い上がった土埃でほこりっぽい。ひとかたまりになった村人達から離れたところに、見知った後ろ姿を見つけた。

 とんとん、と後ろから肩を叩かれ、シスネは振り向いた。
「よ」
「ザックス?」
 突然現れたザックスに、シスネは驚いていた。
「驚いた。どうしてここに? 休暇だって聞いてたけど」
「だから、ちょっと足を伸ばしてバードウォッチングにな」
 なぞなぞだろうか。怪訝そうにするシスネに、ザックスは素知らぬ顔だ。
「あんたは? なんか、重役が来てるって聞いたけど」
「ええそう。私は視察をしている間の護衛と、その補助を任されてるわ」
「ふうん」
 ということは、ダインの意見は通らないのだ。いずれ炭坑はつぶされ、新しく魔晄炉が建てられる。ザックスは、もの悲しい気分になった。
「ここさ、いい村なんだ。昨日、俺が立ち往生してたらさ、赤の他人なのに助けてくれたんだ。そういうとこ、俺の田舎に似てる気がする」
「それは、故郷の自慢なの?」
「まあ聞けって。ここ、まだ魔晄炉がないだろ? だから生活すんのも大変だろうなーって思ったら、そうでもないんだ。工夫して、居心地よくしてる。昨日泊まらせてもらったとこ、すげえ古いストーブ使ってたんだ。石炭使ってるのなんて、シスネも実物見たことないだろ? けど俺の部屋よりあったかいし、よく眠れたんだよな。ぐっすり寝過ぎて夢まで見ちまったけど」
「そう。それはすばらしい夢だったんでしょうね」
「いや、夢はひとまず置いといてだな。この先魔晄炉ができたら、あのストーブは使えなくなるってことだ」
 シスネは、静かなまなざしをザックスに向けた。
「魔晄炉の是非についてなら、私は何の意見もないわ。でも意外ね、ザックスが議論したがるタイプだったなんて」
 出し抜けに、ザックスは笑いだした。
「シスネって真面目なのな」
 シスネは、また驚いた顔になる。
「俺が思ったのは、ソルジャーの俺は新しいストーブになれるのかってことだ」

 ザックスは昨日、とても不思議な夢を見た。
 教会に行くと、いつものとおりエアリスがいる。だが様子が変だった。腕で体を抱き、ふるえているのだ。
 夢とはいえ妙なことなのだが、その背には純白の天使の翼があった。それが黒く汚れ、エアリスはとても衰弱していた。
 大変だと思ったザックスは、これもまた妙なのだが、花畑から湧き出す水で天使の翼を洗いはじめた。
 汚れを落とすとエアリスは元気を取り戻し、空へ戻っていく。しかし戻ろうとすると、また羽は黒く汚れ、エアリスは地上に降りてくるしかなくなる。翼を洗えば元気になるが、同じ事の繰り返しになってしまう。
 そこでザックスは、エアリスの翼をとってしまうのだ。
 翼は花の種に変わり、教会の床すべてが花畑になる。
 これでもう大丈夫だとザックスはエアリスを抱きかかえ、花畑の中を歩いた。
 腕の中に抱えたエアリスは、ふしぎそうな瞳で、ザックスの頬に触れるのだ。
 指先で傷跡を繰り返しなぞり、それから、花のようにほほえみかけてくれた。

「とても詩的な表現ね」
「気に入ったか?」
「ええ。意味は、よくわからないけれど」
 人だかりが、移動しはじめる。魔晄炉を建てる場所へ行くのだろう。それを見たシスネの表情は、タークスのものに戻った。
「それじゃあザックス、いい休暇を」
「いや、すぐミッドガルに戻る。待たせてるやつがいるんだ」
 ダイン夫婦に何度も礼をいい、別れを告げる。彼の夢は叶わないかもしれないが、寄り添うように立つエレノアの姿に、ザックスは安心していた。
(なあアンジール、英雄になるには夢と誇りを忘れちゃいけないんだよな。俺は見つけたぞ。天使の夢を叶えてやるんだ。そう簡単にいかないだろうけど、俺ならできる気がする。いや、必ずやってみせる)
 ごく普通の生活を守るのは、存外難しい。
 視界の外から踏み込んでくるものがあれば、簡単に乱されてしまう。
 それに立ち向かえるだけの力が、自分には備わっているのだろうか。
 ぞくぞくとしたものが腹の内からのぼってくる。より強いものと対峙したとき、ザックスの血は燃えるように熱くなるのだ。それは、生まれ持った強さという素質だったのかもしれない。

「ザックスはコレルを発ったわ。ミッドガルへ向かうって。……ええ、わかったわ」
 ザックスが出発した後、ちょうど建物の陰になるところに、シスネは気配をとけこませていた。報告を終えると、彼女は目を伏せ一時心を休めてから、再びタークスに戻った。







 隙間から差し込む光に、勢いはあまりない。小雨のような光は、季節が変わったことを報せていた。
 心の中で花達に謝りながら、ザックスは土の中に手を入れる。土は思ったよりあたたかい。くぼみむようにかるく土をかきだし、そこへ白い羽根を落とした。
「お花、よろこんでもらえるといいね」
「大丈夫だって、エアリスが育てた花なんだからな」
 趣味が園芸だと聞いたとき、ザックスは変に思ったものだ。土のないミッドガルで、どうやって花を育てるのだろうと。
 ましてや光の差さないプレートの下に花畑があるとは、想像もしていなかった。
 土をかぶせなおすと、羽根がどこに埋められたかはほとんどわからない。
(この花、ちゃんとおふくろさんに持っていってやれよ)
 エアリスが摘んでくれた花を供えると、一通りの区切りがついた。
 全身の力が抜けてしまったように、立ち上がれない。ザックスはそのまま座り込むことにした。なんだか気が抜けてしまい、頭すら重い。しばらく、このままでいたかった。
「いろいろ世話になったんだ。迷惑もかけたし、それによく助けてもらった」
「うん」
「だから俺も、助けてやりたかったんだ」
「……うん」
 あれほど激しく剣をふるったのに、ザックスは手はその感触を憶えていない。
 だが、躊躇わなかったのだけは憶えている。一歩踏み込むのも、モンスターとなった体を切り払うのも、ザックスは臆しなかった。そうすることだけが、彼を助けられる方法だったからだ。
 これでよかったのだ、という安易な妥協を、ザックスはしたくなかった。
 自分も彼も、できることの全てをやった。そう胸を張れるだけのことをしたと、思っている。
 なのに、無力感ばかりが、胸に残った。
 よくやった―
 その言葉を、ザックスはどうしても飲み込むことができない。喉の途中でつかえ、いつまでもそこにあるような気がしていた。
 それでも、彼の苦しみは終わったのだ。そう思っていれば、また立ち上がれる気がする。(ぼーっとしてたら、あんたに呆れられるしな)
 笑おうとしたら、目の奥が焼けるように熱くなった。
 こらえられるものではなかった。苦いものが喉からせりあがり、嗚咽に変わる。
 その背を、かすかな風がなでた。そっとザックスの背によりそったエアリスが、その細い腕で抱きしめてくれる。
「いいよ、思いっきり泣いても。ううん、泣いたほうが、いい」
 やさしい抱擁だった。心がとけていき、涙があふれた。何もかも忘れ、ザックスは、思う存分友の死に涙することができた。
 だが同時にふしぎだった。エアリスはどうして、こんな抱擁ができるのだろう。
(天使だから?)
 背中にあるあたたかさは、紛れもなく人のものだ。エアリスのものだ。
 どうしても確かめたくて、みっともない顔をそのままに、ザックスは体を入れ替えるようにして振り返る。
 そして、口付けてみた。エアリスが、小さく息をのむ。
 泣くことを許してくれたのは、ごく普通の少女だった。

  • 09.10.18