高さも色もなにひとつ変わっていない。
頭上にある窓から見える空には真っ白な雲が浮かび、その横をカモメが飛んでいく。
幼い頃から繰り返し見てきた光景なのに、不思議と飽きない。
離れていたせいもあってか、今はそれがひどく眩しい。
光があたっているわけでもないのにソラは目を細めた。
「ソラ」
余所見を叱るようにリクがたしなめる。
あわてて視線を戻し、まっしろな紙を引き寄せた。なにを書くのかはまだ決めていない。
そもそも手紙とは無縁のソラにとって、挨拶をひとつ思い浮かべるのだって一苦労だ。
下敷き代わりの板をこつこつ叩きながらソラは頭をかきむしる。
あぐらをかいて、また視線を紙の上から外す。
いちど退屈だということに気が付いてしまうとソラはどうしても集中できなくなってしまうのだ。
秘密基地の外は相変わらず穏やかな潮風とたっぷりとした日差しで溢れている。
それなのに狭くなったここには自分とリクが顔を突き合わせながら紙とにらめっこしている。
少し息苦しいのは体が大きくなったせいなのだけれど、ソラはここにあの子がいないからだと思っていた。
退屈だと思うのもそのせいだ。
「もう俺、だめだと思うんだ、リク」
筆を走らせていたリクは顔をあげた。
まだなにも書かれていない紙が放り出されている。どうしようもないとリクは溜息をついた。
「ほんとにだらしないな。手紙も満足に書けないのか?」
「だって、退屈なんだよ」
とうとうペンを放り出して仰向けに転がってしまった。
ひとつも役割を果たせないペンがリクのほうへ転がっていく。
それを拾い上げると、リクは気の毒なペンをくるくると手の中で遊ばせた。
しっかりとした軸に鮮やかな模様が書いてある。使い込んであるのか、ところどころ掠れていた。
指になじむそれは淀みなくインクを送り出し、軽く力を加えるだけで思うとおりに文字が書ける。
それをカイリが二人にと持って来てくれたというのに、ソラは使おうともしない。
「あらら、もう諦めちゃうんだ?」
頭の上から降ってきた声にソラは驚いた。
器用に三つの椰子の実を抱えながら、呆れたというふうに肩をすくめている。
すぐにリクが二つを取り上げ笑いかける。大きくてよく実がつまっていそうだ。
「だってカイリ、なんて書けばいいかもわかんないんだ」
くしゃくしゃになりかけた紙を突き出され、カイリは苦笑するしかない。
見つけてきた大きな実を眺め、それを放り投げる。急に渡されて、ソラは取り落としそうだった。
ざらざらとした手触りの皮に覆われた弾力のある果肉は柔らかく、ほんのりと甘い香りがする。
保存食にはもってこいだ。
その実越しに見えるカイリはリクにどうかと尋ね、リクはカイリの手から取った椰子の大きさに頷いた。
一枚の手紙で行き詰っているソラは急に心細くなる。
「これ、書かないとダメだよなぁ」
王様からの手紙に返事を書こうと言い出したのは自分なのに、ちっとも内容が浮かばない。
なにから書けばいいんだろう。
「いいんじゃないか、書かなくても」
これ以上可哀想な状態になる前にとソラの手から紙を奪う。
綺麗な花を散りばめた繊細な紙の端が折れてしまっている。
手紙の書出しにリクは噴出しそうになった。いかにもソラらしく、だからといって手紙に書いては意味がない。
リクはそれをカイリに渡すと、大きな瓶に自分の書いたものを入れた。
先に書いたカイリの手紙も入っている。
「俺とカイリのだけで十分だ」
栓をきっちりとすれば、中に水は入らない。
あとは海が勝手に運んでくれるだろう。
気紛れで我侭な海に任せていいのだろうかとためらうところもあるが、たぶん大丈夫。
そんな楽観的に考えるなんてとリクは自身にとても驚いたことがある。
カイリに言わせれば、ソラのおかげなんだそうだ。
「リクがそれでいいんなら、いいんじゃないかな」
カイリは手紙を入れた瓶に触れると、そっと何事かを呟いた。
とても小さな声だったのでリクもソラも聞き取れず、首を傾げる。
何て言ったのと尋ねるソラにカイリは内緒、とだけ答えた。
「今度は私達の準備をしないとね」
そうだったと、ソラは起き上がる。
一年前のいかだはちゃんと無事だったけれど、三人が乗るには随分小さくなっていた。もっと太い木材を探し、食料も沢山集めないといけない。カイリの持ってきた椰子の実だけではとても足りないだろう。
「大きい旗がいるよな」
「どれくらいの大きさがいいかな?」
「遠くから見てもわかる程度にはいるだろ」
完成するのにどれくらい時間が必要か、カイリには想像もつかない。
それどころか帰ってくることばかり考えてしまう。秘密基地は変わらずにあった。
けれどもソラとリクは大きくなっていて、狭い。
随分上にあるリクの顔はなんだか大人びて見えるし、ソラは以前より男の子になってしまった。
秘密の手紙をここでまた書けるんだろうか。
しわの寄った紙には元気の良い字でこれから会いに行くよ、とある。
いつ届くかわからない手紙なのに、とカイリは口元をほころばせた。
「カイリ、カイリってば」
少しぼうっとしてしまったのか、カイリは慌てて顔を上げる。
こういう風に考え事をしているときの彼女はソラの知っているカイリと違う表情をする。
寂しげで、溶けてきえてしまうんじゃないかとソラは怖くなるのだ。
早く行こうと手を伸ばすと、カイリはすぐに手を取ってくれる。
ちょっとしたことだが、ソラの不安はこうして消える。
大丈夫、消えてしまうはずがない。もしいなくなってしまったとしても自分とリクが探せばすぐに見つかる。
「遅いぞ二人とも。また俺一人に押し付けるのか」
先に外に出ていたリクは二人に発破をかける。
カイリの手を引くソラはとても嬉しそうで、カイリも安心しきっている。
一緒にいられる。それだけでリクは足が震えそうになる。
離れ離れになり、たくさんのことがあって再会できた。
ちゃんと元通りになっていることがこの上なく嬉しい。
こうして真っ白い砂を踏むことも、引き寄せる波の音に慣れてしまうことも諦めていたのに。
「リク、ほら」
カイリが手を差し伸べている。細くて小さな手。けれどこの手があったから自分はここにいる。
片方空いた手を取ると暖かい。
カイリの向こうにはソラがいて、ちゃんと手をつないでいるか目を凝らしている。
その表情がおかしくて、リクはとうとう噴出した。
「なんだよ、笑わなくたっていいだろ」
そう言いつつ、ソラも笑った。カイリもつられて笑った。三人一緒に、飽きるまで笑いあった。

 

  • 06.01.17