「きれいだよな、エアリスって」
ごほんごほんとクラウドが芝居のようにせき込みだしたので、ソラは首をかしげた。
「俺、なんか面白いこと言ったっけ?」
「いや…」
笑ったわけじゃない、と続けようとしてクラウドは口を閉じた。
そういう類の話はあまり得意ではなく、年下の少年とするものでもないと思ったからだ。
一方のソラは笑われたのでなければなんだろうと考え込んでいる。
けれど、見下ろす景色の中にいるエアリスの姿を見つけたら、クラウドの咳なんて頭からすっかり消え去ってしまった。
「やっぱり、きれいだよなあ」
心の底からため息がもれる。
世界を知れば知るほど、ソラの中には脈打つものが芽生える。
同時にいろんな人と出会うたびに、歩幅が大きくなったように感じる。
分け合える時までそっと寝かせている感覚を、エアリスはくすぐったく揺らすのだ。
「似てる…わけじゃないんだけどな」
喉の途中で止まったつぶやきを聞き、クラウドはすんなり納得した。
動くことの少ない口元がゆるやかに持ち上がっている。
「おまえの光はおまえにしか見えない」
「へ?」
「自分の目を信じていれば、必ず見つけ出せる。迷った時は、光が導いてくれる」
ソラは腕を組むとうなりだしてしまった。よく、わからない。
遠くのエアリスを見ながら一生懸命考えた。
静かな街並みが少しずつにぎやかになっていく中で、確かにエアリスは一際目立つ。
目の良いソラが、人相が悪くなるまで目を凝らすのでクラウドは少し困ってしまった。
「つまり、それって、ええと、んー?」
「あ、いや、今のは忘れてくれ」
片手で顔を覆ってしまったクラウドの声が、かすかにうわずっている。
振り返ると、もっと珍しいことになっていた。ちらりと見える頬が、赤く染まっている。
「ははーん。クラウド、もしかして」
「深い意味は無いんだ」
もう一度せき込みだした。ますます芝居みたいだ。
楽しいいたずらを仕掛けようとするソラの満面の笑顔に、クラウドも少しずつ横にずれた。
壁にこすられた背中は、白っぽく汚れているだろう。
「俺を励ましてくれたんだろ?」
口の重いところのあるクラウドが、自分を励ましてくれた。
それだけで力が湧いてくる。単純なソラは、飛び上りそうなほどうれしかった。
「サンキュ。うん、信じてれば、必ず会える。だよな」
両腕を上げて気合いを入れ直す。
吸い込んだホロウバスティオン独特の、澄んだ空気がひどく胸に染みた。
いつの間にか忘れてしまっていたらしい。
(迷子になんかなったら、笑われるし)
一歩一歩、近付いているとソラの心は感じていた。
全くあてもなく探す辛さと心配する気持ちが、無意識に出ていたのだろう。
ぺしぺしと頬を叩くと、より気合いがこもる。
「わかった、絶対に忘れない。んで、忘れそうになったらクラウドを思い出す」
「いや」
クラウド自身がかつてもらった言葉を、そのまま返しただけだ。
「忘れたままで構わない」
礼を言われる筋合はないと、髪を払った横顔がやけに涼しい。
「照れることないって! そりゃちょっとくさかったけど、俺はすごく元気になったんだからさ」
エアリスがこちらに気づいて手を振ってくれた。隣に立っているレオンも軽く手を振ってくれている。
元気よく手を振り返しながら、ふと横の気配が重いのに気づく。
肩が片方だけじっとりと湿っているみたいだ。
「あっれえ、雨?」
頭の後ろで手を組んで頭上を見渡すが、天候が変わる気配はなかった。
変だなあと肩をすくめる。
「そういえばさ、探してるのって長い銀髪で長い剣。だっだよな?」
ころころと話題が変わるのもソラの特徴だ。
気分が重く沈んでいたクラウドは急に現実に引き戻された。
「あ、ああ」
「髪はこんくらいで」
襟元を手の小指側でたたき
「剣は俺のと似てたりする?」
とキーブレードを地面に立てる。
敵意のない光を宿した黒い刀身に、それぞれの影が重なっていた。もう日が暮れる。
なんとも妙な確かめ方だ。
困惑しながらもクラウドが首を振ると、ソラはぱっと口を押さえうんうんと豪快に頷く。
うれしい叫びが出てきそうになるのを無理矢理おさえこんだといった具合だった。
「…一目でわかる。あいつは闇そのものだ」
世界を分かつ地平線へ目をやりながら、クラウドは意識をほんの一瞬閉ざす。
閉じられた瞼の下に描かれるものは、その端正な姿から想像することも難しい。
「んー…。でもないか。うん、こんくらい分だけは似てるかも」
一方ソラはクラウドと重ねて、人差し指と親指をくっつけたり離したりで忙しかった。
砂ひとつまみと頭の中で分量を覚えておく。
「何がだ?」
「へへ、細かいことは気にしない気にしない」
照れくさそうに笑うソラは、悟られないように後ろを向いた。
クラウドとは何度も会っている。エアリスにも、レオンにも、ユフィにも、シドにも、マーリン様にも、プー達にも。
それがたった砂ひとつまみで、どうして風を冷たく感じるんだろう。
この世界も、今は自分の一部みたいなものだった。
切り離してしまえば、きっと痛い。
「じゃあ、俺行くよ。見つけたら必ず知らせる」
「ああ、頼む」
あっとソラは息をのんだ。
似ているんじゃない。この痛みは、感じている痛みそのものだった。
(クラウドがかっこいいのは、ちょっとずるいよな)
もちろん恥ずかしくて口が裂けても言えるはずがない。
一度だけ振り返ると、クラウドの視線が城壁を向いているか確かめる。
安心してにやけそうになる顔をぎゅっと引き締めると走り出した。
(俺の光は、俺にしか見えない)
不器用な青年がくれた言葉を、ソラは繰り返し胸の中でとなえた。
確かな重みが痛みに響くのは、傷を塞ごうとしてくれているのかもしれない。


走り去るソラの後姿を見送ることなくクラウドは視線を伏せた。
「光、か」
きれいだと言ったソラの気持ちはよくわかる。
美しく強い光は、あまりにもきれいで自分の手には似合わない。
力をこめ作られた拳が震える。この掌に合うものは、もはや一つしかない。
「言い忘れてたんだけどさ」
今度は完全に気道に入った。
壁に手をついて苦しむクラウドの背中をぽんぽんと軽くたたきながら、ソラはなるべくやさしく言った。
「かくれんぼも程々にして、そろそろ覚悟決めなきゃ」
じゃ、と今度こそ背中が去っていく。
せきは止まる気配もなかった。

 

  • 08.07.01