ソラ達を乗せた船は、星と星の間にあっという間に消えてしまった。
「あーあ、ほんとに行っちゃったよ」
同じ姿勢で見上げていたユフィがぼやくように言う。
「行っちゃったね」
意外としっかりした自分の声の響きに、カイリはまばたきし忘れていたことに気付き目尻をかるくこすった。
見送ることは、それほど難しくない。手を振り、手を振り返されるだけのことだ。
ただ、目の奥がじんと熱くなるのは、ちょっと困ってしまう。
(いってらっしゃいは、ちゃんと言えたのになあ)
どうも聞き分けがよくない部分があるようだ。
自分の情けなさに居心地の悪い感覚を覚え、カイリはかるく視線を下ろした。
「そうじゃなくてさ、薄情だーって思わないわけ?」
向き直ったユフィはやけにじれったそうな口調だ。
「誰を?」
「あれあれ」
今さっきまで見ていた方向を指差され、カイリはようやくユフィの言う薄情な誰かさんの正体がわかった。
あまりにもソラに似合わない単語に思わずふきだしてしまう。
「まっさかあ! だらしないなあとはしょっちゅう思うけどね」
いたずらっぽい笑顔を浮かべるカイリに、ユフィも笑顔になる。
「でも本音はやっぱ寂しい、ってとこでしょ?」
ちょっと考えてから、首を振った。
「でもないよ。ほら、すぐ戻ってくるって言ってたし。ソラ、肝心のおみやげを忘れないといいんだけど」
「おみやげって?」
「とってもとーっても大切なおみやげ」
迷いのない瞳が、中々に不敵なほほえみを彩っている。それはユフィの目にとても好ましくうつった。
ユフィがおもむろに手を伸ばし、カイリのふっくらした頬をかるくつねる。
「とぼけるのかー顔にばっちりしっかりくっきり出てるのにかー」
「いひゃいいひゃいー」
さすがにまいったのか、カイリは両手をあげて降参のポーズをする。
片方は悪びれずに指をひらひらさせ、片方は頬をおさえながら楽しそうに笑いあった。
ひとしきり笑うとどちらともなくまた星がまたたく空を見上げる。
吸い込まれそうな、と表現するのだろう。漆黒よりもなお深い色が果てなく広がっている。

それぞれに輝く星をやさしく抱いた夜空は、カイリを知らないうちにどきどきさせた。
きっとあの一つ一つに、世界があり、誰かがいると知ったからだ。
今頃ソラも、星の一つとなったこの街を見ているのかもしれない。
「さみしいけど、さみしくないよ」
ユフィの言う通りだ。本当はとてもさみしい。
わがままを言ってでも無理矢理乗り込めばよかったと、カイリはもう後悔している。
ドナルドとグーフィーなら、きっと味方になってくれた。
「どゆこと?」
「ええと、こっちはちょっとだけさみしいって思うんだけど」
額に手を添えたカイリに、ユフィが不思議そうに首を傾げる。
「ここは違うんだ。遠くはなれてても、ずっと一緒だから」
小さなこぶしを胸の上に置き、ほほえんだ唇がきっぱりと言い切った。
しかしユフィはまだ掴みかねているのか、幼さの残る口元がへの字に曲がっている。
腰に手をあて溜息をつく姿はどうしても我慢できないことを我慢しているように見えた。
「アタシにはよくわかんないな。かっこつけて置いてく奴なんてさ、全然わかんないよ」
今度はカイリが首を傾げる番だった。
ユフィは怒っている。ここにはいない誰かに対して、真剣に怒っていた。
(レオンさんじゃないし、シドさんでもないよね。じゃあ)
それぞれやさしい二人が、ユフィをここまで怒らせるはずがない。
かといって軽々しく尋ねることもできずカイリはついそわそわしてしまう。
気付いたユフィがにいっと笑ってみせた。
「ごめんごめん、別にソラが悪いってわけじゃなくてさ。ちょっとした知り合いに、そういう奴がいるんだよね」
すこし頬を染めたカイリが、照れくさそうに肩をすくめる。ユフィがにやにやしているので咳ばらいをしてみせた。
「ってことはその人、今はいないんだ?」
話題の風向きが怪しくなる前に尋ねる。ユフィをここまで怒らせるのはどんな人なのだろうと、興味もあった。
「まあね。昔からふらふらしてばっかりの奴でさ」
「そっか。それじゃ心配だね」
「ぜんっぜん! まだアタシが小さかった頃に出てって、それっきりだし」
こーんなときにね、と笑いながら腰のあたりに手をあてたユフィの瞳を、カイリはじっとみつめた。
目が笑っていない。もしも気にならないのなら、ここまで怒る必要はないはずだ。
ユフィの怒りが、わかるような気がする。
たしかにカイリだって、ソラとリクに置いていかれたら怒ってしまうだろう。
とことん追いかけて、置いていかないと約束してもらわないと気が済まない。
だからユフィの気持ちは、カイリにも少し痛みを与えるのだ。
「たいせつな人なんだね」
「は、なにそれ!?」
ユフィは心底びっくりしたようだった。くすりとほほえんだカイリが、ユフィの頬を指差す。
「だってほら、顔に描いてあるよ。心配させるなーってばっちりしっかりくっきりとね」
「ないないない、ないって! それだけは絶対にありえない!!」
だけを強調し思いきり首を振って否定するものだから、カイリは噂の渦中にいる人物に申し訳なく思ったくらいだ。
「そうなの?」
「そうだって。だいたい心配するのはエアリスの仕事だし。アタシはどっちかっていうと説教役専門」
あ、なるほど。とカイリは納得した。
きれいにほほえむ女性を、ユフィはとても慕っている。その思いの深さに触れたカイリは、ほんわりとあたたかい気持ちになった。
とすると、噂の人物は想像以上に厄介な放浪癖の持ち主なのだろうか。
「その人から連絡はないの? 元気にしてるよって手紙とか」
「ちーっとも。なしのつぶてだよ」
「…なんか、薄情な人だね」
カイリまでぷうっと頬をふくらませて怒りだしてしまった。
「でしょ。アタシならあんな奴、バシバシバシっ! とのしてやるんだけどなあ」
拳がするどく空を切る。
誰かを殴るふりをするユフィに、カイリも薄情な人物を思い浮かべながらならった。
「お、筋がいいじゃん」
「へへ、そっかな。えい、やっ、たあっ!」
「そうそう、ひねりを効かせるんだよ」
静かな夜の下で交わされるかわいらしい乙女達の会話がだんだん物騒になっていく。
たまたま通りがかったアイテムアトリエのモーグリが、ふるえあがったとかなんとか。


「だからカイリもさ、ちゃんと寂しいって言ったほうがいいよ。ソラはまともだと思うけど、一応さ」
え? と夢中で体を動かしていたカイリがユフィを振り向いた。
「どうして?」
本当にわからないというふうにカイリが首をひねる。
「んじゃさ、ソラに置いてかれてもいいわけ?」
「やだ、絶対にやだ」
「なら自分の意見はきっちり言っとかなきゃ」
「んー…」
中々はっきりと答えられない。先ほどもユフィに言ったとおり、さみしくはないからだ。
たしかにさみしい部分はあるが、それは離れることに慣れていないせいだとカイリは思う。
これほどソラとリクと離れたことがないのだから、仕方がない。不可抗力だ。
カイリはゆっくりと首を振る。
「やめとく。とりあえずは、待ってるって決めたから」
「それそれ、それだよ。エアリスも同じこと言ってた。やっぱわっかんないなあ」
大げさに天を仰いだユフィが、重いものを吐き出すようにもう一度わかんないとつぶやいた。

深く息をしたカイリの肺が、夜のにおいを感じ取った。
黒々とした夜に支えられた星が呼吸するように瞬いている。
まばたきしても星は同じ位置にあり、見失うことはない。きっと、あれと同じだ。
「もしかして、私と同じなんじゃないかな」
意味がわからずユフィは難しい顔になる。同じだからこそ、カイリが心配なのだ。
「もちろん言ったよ。いっしょがいい、ひとりは不安だって。そしたらね、私は来ちゃだめだって」
「うげ〜。それ、最低」
「ちがうちがう。ソラはね、危険な目にあわせたくないって言ってくれたんだ」
星よりも遠くを見つめる紺碧の瞳が細められる。
「ちょっとずるいよね。そんな風に言われたら、待ってるのなんて平気になっちゃうのになあ」
いつになく真面目でまっすぐなソラの目を思い出すと、とてもじっとしていられなかった。
体中を包むくすぐったさにどうしても顔がゆるんでしまう。
「だからエアリスも同じなんだよ、きっと。あんまり自信ないけど、たぶんね」
カイリはいたずらっぽく舌を出す。
腕を組んだユフィはまだ腑に落ちない様子だ。
ツンツン頭の後ろ姿には情けない印象がつきまとい、どうも決め台詞が似合わない気がする。
「や、そんなこと言える奴じゃないよ。少なくともクラウドは絶対あてはまんないって」
どうやらクラウドという人は、よほど長い間留守にしているらしい。その人はいろいろと大丈夫なんだろうかと、カイリは心配になった。
夜空に浮かぶ星のひとつが、くしゃみをしたようにきらりと瞬く。
「じゃあ数えてみよっか。ええと、レオンさん、シドさんでしょ」
指折り数えたカイリがいたずらっぽく笑いかける。
「それからユフィ」
「アタシ?」
「そそ。うん、これしかないよ、絶対そう、これは自信ある!」
一人盛り上がるカイリにユフィが詰め寄る。
「なになに? 焦らさないで早く教えてってば」
「んー、どうしよっかなー。そんなに知りたい?」
「知りたい!」
元気よく片手をあげるユフィに、カイリはまっすぐに背筋をのばした。
「では答え合わせ。さみしくないんだよ、エアリスは」
「へ?」
「だって、さみしくなってる暇はないもんね。でしょ?」
背中で腕を組んだカイリが、ユフィの肩越しに視線を移す。

「すごい、カイリ。大正解」
ゆったりとした返事に、わっとユフィが飛び上った。目を白黒させている。
得意げに胸を張ったカイリに、エアリスはやさしいまなざしを向けた。
おだやかな光をたたえた瞳は、カイリをどこかなつかしい感覚にさせる。
ずっと遠い昔、置き忘れてしまった言葉が喉のすぐそこまで出かかっているように思えた。
きっとエアリスの特別うつくしい瞳が、あまえたくなる色をしているからだ。
「お茶とおやつ、用意したの。二人とも、すこし休も?」
そろそろ小腹がすいていたカイリは手を叩いて喜んだ。
「わあ、ありがとう! ちょうど甘いものがほしかったんだ」
「だと思った。だいじょうぶ、たくさん用意しておいたから」
「えへへ、うれしいなあ」
エアリスにうながされたカイリは素直に後ろを歩いた。
隠れ家に用意されているおやつを思うと、足取りも軽くなる。

赤レンガの広場を行きかけたカイリはふと、後ろの気配がついてきていないのに気がついた。
「あれ、どうしたの?」
ぼうっと立ったままのユフィの表情は、ひどくがっかりしている。
「…まずった」
ぼそぼそと呟くユフィに、カイリがかわいく首を傾げる。
一足早く2番街への扉をくぐったエアリスの背を見届けてから、近くへ引き返した。
「ね、大正解だって。よかったね」
「ま、ね。それはすっごいうれしいんだけどさ」
「けど?」
「昔を思い出せちゃったなあって」
はっとカイリは顔を曇らせた。
「クラウドって、禁句だった?」
神妙に頷くユフィにカイリもうなだれる。
どうやらエアリスとそのクラウドという人は、かなり込み入っているらしいとわかったからだ。
軽々しい憶測などするのではなかったと、カイリは珍しく暗い後悔をすることになってしまった。
やつあたりだとわかっていても、見知らぬ人の薄情が、やたらと恨めしい。
(クラウドがはやく帰ってこないから、大変なことになっちゃうんだよ)
胸の中で文句を言うと、少しは気が晴れる。
噂の渦中にいる当人も、まさか年下の少女に恨まれているとは思うまい。
2番街の扉を押しながらカイリとユフィは同時に溜息をつく。
「どうしたらいいかな?」
「しゃーないよ、あとはレオンに任せよ」
「そだね」

いたずらを失敗した子供のように重い足取りでやってくる2人に、曲がり角で待っていたエアリスは苦笑する。
「2人でこそこそ、なんの相談?」
「べっつにー、なーんにも。ねえ?」
「そうそう、なんでもないよ。ねえ?」

昔を話すのに、丁度いい機会なのかもしれない。
カイリの首元でゆれる乳白色の石を見つめながら、エアリスはそう考えていた。

 

  • 08.10.31