大通りは両肩に隙間なく商店を並べ、祭りのようなにぎわいを見せていた。
神秘に満ちた都と呼ばれるアグラバーの入口から始まる市場は、まっすぐ荘厳華麗な宮殿まで続いている。
扱っている品物は様々で、多種多様の宝飾品を扱っている店もあれば、活きのいい地肌をした裸の鳥も並べられていた。
金さえあればどんなものも手に入る。口が悪い者などは、この焦げつくほど太陽に照らされた街をそう呼んだ。
人の多さが珍しいのか大きな瞳をさらに丸くしているカイリは、無遠慮に手首を引かれ、頬をふくらませた。
「いたいってば、そんなに引っぱらなくても一人で歩ける」
ささやかな抗議に、サイクスは冷ややかな視線だけ返す。
この娘が人ごみに紛れてしまおうという浅はかな考えを持っていることはお見通しだった。
「無駄なことはするな。手間は少ないほうがいい」
親切な忠告にますます口をへの字に曲げるカイリを歯牙にもかけず、サイクスは雑踏を進んでいく。



大通りに規則などない。しかし流れが滞らない仕掛けが施されていた。
商店はある一定の線を越えないようになっているし、用が無ければ行き交う人々は立ち止まりもしない。もし用事もないのに商品を見ていれば、盗人と見られてもおかしくはなかった。
がしゃんと陶磁器の割れる音が響く。
びっくりして振り向いたカイリは、体格のいい大男が痩せた老人につばを飛ばしているのを見た。
胸倉をつかまれた老人は見事な赤い林檎をふところからぼろぼろとこぼしている。
育ってきた島では考えられない光景に、カイリはますます目を丸くした。ここはそういう街なのだ。
「引きずられたいか、それとも担がれる方がいいか。どちらでも好きな方を選べ」
「どっちも絶対お断り!」
カイリが思いきり首を振るのを確かめ、サイクスは止まった歩調を元に戻した。
一見すれば手を繋いでいるように見えるが、実際は簡単に振りほどけないほど強い力でサイクスに手首を掴まれたカイリが引っ張られているだけだ。
そして意外なほど、彼の黒いコートは目立たなかった。目立つといえば目立つのだが、流れに乗って歩いていれば、誰もサイクスとカイリの存在を気に留めようともしなかった。

「あなた、さっきからなにを探してるの?」
唐突にカイリは口を開いた。サイクスは立ち止まるそぶりもみせない。
ときどきサイクスが視線を左右に動かしているのをカイリは見ている。
もちろんカイリには、サイクスが街が何事もなく平和であることを確認しているとはわからない。より多くの心を集めるにはこういう細かな活動も必要になるものなのだ。
サイクスは、自分の足を使うことをまったくいとわない性質だった。
「ふうん、いいお店を探してるんだ。びっくり、意外とまめなんだね」
安さをうたう店の前を通り過ぎながら、カイリが投げやりに呟いたのは多少の嫌味も込められているのだろう。たしかに、有無を言わさずに連れていかれようとしているのだから、カイリだって文句の一つや二つ言いたくもなる。
そして逃げ出そうとすればどこからともなく現れた見上げるほど大きなノーバディが、カイリの進路をふさいだ。逃げ道はなかった。体を突き抜けるほどの視線を背中に感じたとき、カイリは非常に不本意ながら、ひとまず逃げ出すのを諦めるしかなかった。機会は、必ずめぐってくる。
「おまえはどうだ」
サイクスも、唐突に口を開いた。
「私?」
「見つけられたか。全てが物珍しい、何も知らないと顔に書いてあるがな」
嘲るような言い方に、カイリは思わずかっとなった。
「世界のこと全部知らないからって困るわけじゃない。特に、あなたの探し物なんて知りたくもないんだから!」
これだけ大声をあげているのにやはり誰一人として立ち止まろうとしない。どうやら歩きながらの口喧嘩など、この街では日常茶飯事のようだ。
ようやく大通りを抜けたと思ったら、今度は裏道に入った。
あまりぱっとしない印象がぬぐいきれない道をサイクスは物も言わずに進んでいく。
「それなら都合がいい」
いきなり立ち止まったサイクスの背中に、カイリは足を止める間もなくぶつかった。
「いったぁ…、いきなり止まら」
それから先は、言葉にならなかった。サイクスは、ただカイリを見下ろしている。
喉を押さえ口をぱくぱくさせるカイリは、顔の前にかざされた大きな手をきっとにらむ。
月が昼間の光を奪うように、カイリの声は封じられていた。
「おしゃべりは後でいくらでもしろ。余計な真似をすれば次はその口を別の方法で塞ぐ」
黙っていろということなのだろう。
低い声が平坦だから余計にすごみがある。手首をつかむ力は強くなるばかりだ。
感情がまるでみえない冷たい瞳に気圧されまいと、カイリは唇をきつく引き結んだ。
喧噪からそれほど離れていないというのに、重苦しい沈黙が二人の間に漂っている。
ぴりぴりとした緊張感はこの二人がただならぬ関係であることを証明するようだった。

「なあそこの兄さん、少しいいかい? 君が連れてる女の子のことなんだけど」
横から聞こえてきた緊張感がまるでないのんびりとした声に、サイクスはカイリに向けている冷たい眼差しを動かした。
「お節介に聞こえるだろうけど、気付いてるかい? 君達はとても不自然なんだ」
地味ないでたちの、しかし笑顔に卑屈なところが全くない青年はごくのんびりとサイクスに近寄った。
サイクスの黒い服を上から下まで眺め、それからカイリに明るい笑顔を向けると、アラジンは考え込むようにあごに指を添える。
「まるでその子をどこかでさらってきたばかり。そう見えるのは僕の気のせいかな?」
勢いよく首を縦に振っているカイリを自分のほうへ引き寄せたサイクスは平然と答えた。
「気のせいだ。これは頭がおかしくてな。今から医者へ連れていくところだ」
ぷんぷんと怒り出したカイリはサイクスの厚い胸板にぽかぽかとこぶしをぶつけるが、声が出ないせいかいまいち真剣味に欠ける。
「ああ。確かによく使うね、それは」
なあ? とアラジンが同意を求めると、肩に乗ったアブーはカイリと同じくらいはっきりと頷いた。
「で、本当かい?」
目線を合わせて尋ねてくれるアラジンに、カイリは必死に、事実をありのままに伝えようとした。
自分を指差し、サイクスを指差し、この人に無理矢理連れてこられたのだと黒い服の袖を掴み、こうして引っぱられている、と身振り手振りで説明する。
「ええとつまり…。とても、仲がいい?」
違う! と言いたくてもカイリは声を出せない。
同じ仕草が念入りに繰り返されるが、アラジンにはさっぱりだ。
サイクスがカイリの行動をまるきり無視していることもある。人攫いがここまで堂々としていられるものだろうか。
ひょっとしたら印象で判断してはいけなかったのかもしれないと考えはじめたほどだ。
カイリも言葉が無い状態で説明することに慣れていなかったから、大道芸人のように見えてしまうのも仕方ない。
それならとカイリは裏道の奥を指差してから足を踏ん張った。サイクスに恨めしげな視線を向けてから泣き真似をしてみせる。連れて行かれるのは嫌だと、わかってほしかった。
うーんとアラジンは首を傾げる。
「まさか、ほんとに医者に行くとこだったとか?」
保護者と、その連れに見えてしまったらしい。
とうとうカイリはがっくりうなだれてしまった。すっかり疲れきって肩で息をしている。
その間もサイクスはカイリを離そうとはしない。困ったやつだとうんざりした表情まで作っている。
「見ての通りだ。目を離すわけにはいかなくてな」
「なんか、余計にわからなくなった気がするけど…。結局君達、どういう関係なんだい?」
ようやく確信に近づいた気配に、カイリは希望を見出した。
めげずにもう一度説明しようと顔を上げたカイリは、自分がなぜか勢いあまって上を向いたことを不思議に思った。
一瞬目に入った路地裏の狭い空に浮かぶ太陽の、なんとまぶしいことだろう。
唇にふれる感触の、なんと絶望的なことだろう。

なんとも淡々とした情熱的な光景にアラジンもアブーも絶句してしまった。
風に吹き飛ばされるように魂が体から離れてしまったカイリを、サイクスは難なく抱きとめる。
「これでわかっただろう。少しは終わりだ、俺はやれるほど暇は持ち合わせていない」
「いいや、待ってくれ。その子、気絶したぞ?」
「それがどうした」
「変に思わないあんたのほうがどうかしてるぜ」
サイクスの前に立ちはだかり両手を広げて呆れてみせるが、アラジンの目は笑っていない。
事情は人それぞれだとしても、倒れた女の子を黙って見過ごすわけにはいかなかった。
「なあ、その子を休ませてやらなきゃ。かわいそうに、顔が真っ青だ」
サイクスは、すこしだけ目を細めた。
「それがドブネズミの仕事か」
「なんだって?」
ここまでは穏やかといえたサイクスの態度が一変したのにアラジンは驚いた。いいや、本性をあらわしたというほうが正しい。まるで、うすく被せてあった表情の皮がむけたようだ。
「どこのドブネズミも正義感を振りかざすのが得意らしいな」
体の脇にカイリの体をかかえながら、サイクスは察したかのように吐き捨てた。
冷たいまなざしは、すぐに取り戻される。
「そこをどいてもらおう。ここまで騒がしくさせたくはない」
サイクスは、結果に結び付かなければ、けして深入りはしなかった。
元の穏やかさすらある態度で告げられても、はいわかりましたとアラジンが引き下がるはずはない。
「あんたこそ医者が必要じゃないのか? よかったらいいところを紹介してやるよ」
「必要以上に、騒がせたくはない」
まさに一触即発である。心配げにカイリのほおをつついていたアブーがただならぬ雰囲気に、あわてて物陰に隠れた。

「アラジン、アラジン、アラジーン!!」
鶏よりもけたたましい鳴き声にアラジンは顔をしかめた。
「やばいよ一大事だ大変なんだよ! ああなんてこったこれで世界は終わりだ俺の未来はお先真っ暗もう明日なんてきやしねえよ!!」
「イアーゴ! どうしておまえはいつも肝心な時に」
「俺様の未来以外に肝心なことがあるわけないだろ! なあアラジンまじでやばいんだって大事件なんだよ!!」
「わかった、わかったからとにかく今は……あれ?」
やいやい言いあっているうちに、似合わない組み合わせの二人組は、消えている。
「今とかいってのんびりしてる場合じゃないっての! あの棺が――」





とても珍しい客に、店主は大いにあわてた。店の入り口もくぐらずに入ってこれる客などこの先もないだろう。
「その、大変申し訳ないのですが、あたしは奴隷の取扱いについちゃあてんで門外漢でして……」
揉み手で迎えられたサイクスは不快に感じた様子もなく視線だけ動かし店の中を見回した。
店内は華やかとはいいがたく、かなりほこりっぽい。
脇に抱えられた気を失っている少女にとびきりの値段がつくことは確かだが、それよりも商人は黒い服の男に内心おびえていた。一見しただけで住む世界が違うとわかる。野生の狼のようなまなざしは素人のものではなかった。
とうとう年貢の納め時かと冷や汗が止まらない。やはり宮殿になど忍び込むのではなかった。欲ばかり優先してきた商人はすっかり縮こまっていた。
「ランプを扱っていたそうだな」
商人はすでに震えも抑えられなくなっている。
「へ、へえ、ランプをお探しですか。新品から骨董までございましてご所望ならなんでも」
「ランプではない」
「へ?」
サイクスが空いた手のほうで指をならすと、待ち構えていたダスク達が荷物を頭の上にのせて姿を現した。まばゆい財宝の数々がうず高く積まれていく。ぽかんと口を開けていた商人は、最後に積まれた金貨の山の前でよろよろと膝をついた。
「だ、だんな、こいつはどういう……」
「買うのはお前の口だ」
有無を言わさぬ気配がサイクスの口調に見え隠れしている。最初から、この商談に交渉の余地はなかった。
「活気にあふれたいい街だ。騒がせるのは忍びない。平和が長く続くことは我々の願いでもある」
我々と聞いた商人はついカイリをまじまじと観察してしまった。
「で、ですが、ジャファーは力でこの国の王になると」
「棺に眠る者が目覚めたところで、所詮棺に帰る運命でしかない。ハートレスとなってな」
「は、はあとれす?」
「お前もこの街の人々を不安がらせたくはないだろう?」
「そりゃもちろんそうですが、し、しかし……」
まごつく商人に、サイクスは一層冷たい視線を向けた。呑みこみの遅さを蔑む色がにじんでいる。
「後のことは心配するな。心配させる必要もない。ハートレスなら我々が始末する」
うさんくさい。とんでもなくうさんくさい。
だが商人の気持ちはぐらぐらと揺れている。一度は遠のいた財宝をぽんと出されれば、口だろうと売ってしまいたい、限りなくおいしい話に飛びつかないでいられない。
「おじさん、だまされちゃダメ!」
と、かわいらしい声が叫んだ。意識を取り戻したあと、怪しいやりとりを聞いていたのだろう。呪縛を打ち破ったカイリは顔を上げ必死に首を振っている。
どうしてサイクスがわざわざ大通りを進んできたのか、わかったのだ。よからぬ企みには、この街の人達が必要なのに違いない。あの親切な人や、大勢の人が危険にさらされるのを、カイリは見過ごせなかった。
「全部うそだよ! 自分勝手でひどい人なんだから! 平和だなんて絶対思ってないんんー!!」
サイクスの無造作だが熱っぽい黙らせ方に商人は言葉を失った。
再び魂を吸い取られてしまったカイリがぐったりするのを、サイクスは興味もなさそうに眺めている。
「へ、へへ、奴隷の扱いがとてもお上手で」
お世辞を言ったつもりがにらまれる羽目になった。この男の何がおそろしいかといえば、目だと商人は答えるだろう。底知れぬ暗い光を向けられると、背筋が寒くなる。
「お前にとっても損な話ではないはずだ」
たしかに、黄金のかがやき以上にすばらしいものはない。こうなればやけだと商人は腹をくくった。
「ええ、お売りしますとも。どうぞどうぞお持ちくださいな。あたしはなーんもしゃべりません」
それを聞いたサイクスは鷹揚に頷く。
「その言葉、忘れるな」


短く言い残すと、溶けるように姿が消えてしまった。彼が抱えていた少女も、財宝を運びこんだダスクも消えている。この場に残された財宝を手で掴まなければ、実際にあったことだと、とうてい信じられない。
もしや、悪魔とその眷属だったのかもしれない。もしくは死神か。少なくとも正義とはまったく縁のなさそうな客だったと考えている店主は、別の客に気が付かなかった。
「へえ、すっげえおおもうけしてんだ」
商人がぎょっとして振り返ると、いかにも正義感にあふれた少年が物珍しそうにきょろきょろしていた。

 

  • 08.12.24