肩口にこびりついたケダチクの肉片をはがすと、腕がいきなり重たくなった。
緊張が途切れたからだろう。無事だった実感に膝が笑いだしそうだ。
「ロクサス、大丈夫? 怪我はない?」
駆け寄ったこちらも、なかなかひどい有り様だ。
自身よりロクサスを優先してしまうナミネの頬についた汚れを、親指で拭いながら頷く。
「なんともない。ナミネがいなかったら、危なかったけど」
ナミネの喉の途中で、ぐっと言葉が詰まった。
大口を開けて獲物を待ち構える相手へ、無謀とも言える突っ込み方をしたロクサスに対して、いくらナミネだって言いたいことはある。けれど、ロクサスがこんな自分を頼りにしてくれるのは、涙が出るほどうれしい。
そういう複雑な心境がすぐ顔に出てしまうナミネに、ロクサスは目を細めた。
「ごめん」
「え?」
「俺はナミネに心配かけてばかりだ」
「ううん。私でよければ、たくさん心配させて」
「…俺だけを?」
「うん、ロクサスをずっと心配していたいの」
なんともうれしい告白に、顔が勝手にゆるんでしまう。
ナミネがはっと口を押さえたが、もう遅い。真っ赤になって俯いてしまった。
「ずるい…」
小声の抗議にあわてて謝る。
「ごめん、俺そんなつもりじゃ」
拗ねたようにそっぽを向かれ、ますますあわてた。
気持ちを確かめたいと欲を出したせいで嫌われるなんて、本末転倒だ。
ナミネに嫌われることを思うと、ロクサスは悲しくてたまらなかった。
「違うんだ。心配してほしいし、俺もナミネの心配をしたいんだ。できれば、ずっと」
今度は頬に手をあてて後ろを向かれてしまう。
ナミネの華奢な背は、あまりの恥ずかしさに縮こまってしまった。
どうして自分達はこんなに不器用なんだろうと、ロクサスはがっかりしてしまう。
「まいったな」
訓練施設の一角がほんわかとした雰囲気になっているのには、当然気付いていない。

「まいるのはこっちだ。お前らの脳みそは、時と場所をわきまえるって知ってるか?」
あからさまに威圧的な態度は、確かめなくてもわかる。
振り返りながらナミネを背中に隠したロクサスの表情から、甘ったるいものが一切消えた。
「お互い息を合わせるのは訓練の基本だろ。万年候補生じゃなくても知ってるさ」
すかさず異を唱えたのは、取り巻きの二人だ。
「万年じゃないもんよ、たったの二年だもんよ!」
「侮辱撤回!」
「訓練だと思い込んでるなら気の毒だ。そうやって騎士を気どるんなら、想像の中だけにするんだな」
サイファーの物言いは心底頭にくるのだが、いちいち突っかかれば疲れるだけだとロクサスは知っている。
「騎士なんかじゃない。俺はナミネのパートナーだ」
背中で居心地悪そうにしているナミネが、小さく吐息をもらす。
すぐにでも振り返りたかったがサイファーから目をそらすわけにはいかない。
こいつの居高な態度は、ナミネをやたらと怯えさせる。
敵意を隠さずに、ロクサスはまっすぐサイファーを見据えた。
サイファーだって負けていない。いっそう蔑んだ眼差しをロクサスに向けた。
「こいつはリストから外せ」
「了解」
「リスト?」
「夢の無いチキン野郎は除外するリストだ」
相手にしてられない、とロクサスは疲れたように首を振った。
「行こうナミネ」
かばうように手を引き、サイファー達の横を通り過ぎる。
訓練施設を飾っている細い葉をかき分けながら、こんな場所まで監視している風紀委員の仕事熱心さに、ロクサスは呆れてしまった。
(よっぽど暇なんだな)
一緒に訓練をしているだけで目をつけられてはうっとうしくてならない。
「パートナーか。失敗したときの言い訳には最適だ」
ぴたりと足が止まる。
「今の、聞き間違いだよな?」
聞き返したロクサスの声には抑揚が無かった。
「ああそうさ。かばったから、守ったからで失態も称賛される便利な隠れ蓑だって聞こえたか?」
生徒同士の私闘は規則で禁止されている。
わかっているのに、ロクサスの手は腰に携えた武器に伸びていた。

「暴行、愚挙、野蛮!」
「サイファーに何するんだもんよ!」
ぽかんと一瞬呆気にとられた。
今にも地を蹴るところだったロクサスの目に、髪をふり乱したナミネの背が飛び込む。
武器をとらなかった分、ナミネの方が早く飛び出したらしい。
頼りないこぶしを、ぽかぽかとサイファーに振り下ろしている。
「おい、こいつをなんとかしろ!」
反撃するわけにいかないサイファーは、健気にも防戦一方だ。
我に返ったロクサスは、不本意にもナミネを羽交い締めにするしかなかった。
ナミネの怒り様は、あたためているたまごを奪われた小鳥のように激しい。いつもからは考えられない。
「いいんだナミネ、真に受ける必要なんか無いんだ、落ち着いて」
「でも、でも悪口を!」
じたばたと暴れるのをどうにかなだめながら、ロクサスとサイファーは仕方なく目を合わせた。
ナミネは泣きながら怒っている。売り言葉の買い言葉に、お互い気まずさばかりが残った。
「ナミネをリストに加えろ」
(だから、リストってなんだよ)
二人に付き添われて退散していくサイファーに、また聞きそびれてしまった。
( あんまり知りたくもないけど)
と、ロクサスは心の中で誰に言うでもなく付け加えた。

「え、と、ナミネ?」
やかましいのが完全に去ってから解放してやる。
肩で息をしているナミネはこれ以上サイファーを追いかけるつもりはないらしい。
ほっとしながら、ロクサスはするすると消えていく体温が名残惜しかった。
妙な形だったが、抱きしめていた小さな体はすぐそばにある。
あんなどたばたの最中ではなく、きちんと抱きしめたいという欲求が、ロクサスをそそのかしていた。
辺りに魔物の気配を確かめてから、そっと腕を伸ばすと、ナミネが振り返る。
「本当に、私でもいいの?」
急いで腕を引っ込めた。
ナミネはとても真剣で、風紀委員が怪しむような雰囲気は欠片もない。
「ナミネがいいんだ。その、ナミネがいれば、俺は強くなれるから」
一呼吸置いてから、かっと頬が熱くなり息苦しくなる。
勢いとはいえ、紛れもない告白だ。さんざん練ってきた場面がいきなり訪れたのだから無理もない。
手を握ろうか、それとも目をつぶってもらったほうがいいか悩みに悩んでいると、ナミネのほうから手を重ねてきた。
「うん、がんばろうロクサス。あんなこと、もう言わせない」
きつく握られた手の内側が汗ばんでいる。
右手に武器を構え、左手でロクサスを引っ張りながら訓練施設の奥へ行く小さな肩が、怒っていた。
治まるどころかますますひどくなっている。
「まだ頼りないけど、かならず頼れるようになる。心配だってかけさせない。負けたくないの」
うんうんと支離滅裂な台詞を聞きながら、ロクサスはうれしかった。
ナミネがこんなにも自分を心配して怒ってくれるなら、サイファーも好きになれる気がした。

 

  • 08.09.27