頭上高くから照りつける太陽の熱は、砂ばかりでなくロクサスまでも焼いた。
(あつい…溶ける…)
額の汗を拭ったのも何度目かわからない。
干したレンガで造られた建物の屋上は人気がなかった。姿を隠すにはうってつけといえる。
だからこそ、都合よく日差しをよける場所があるはずもなく、首筋に汗が伝うのをただ我慢するしかなかった。
熱をたんまりとたくわえた砂は、遠くからなら黄金のようにきらきらとして見えたが、今となってはうっとうしい。
ロクサスは、砂をきれいだと思った数分前の自分を胸の中でなじった。
少しでも涼しい場所はないかと、建物の隙間から地上を覗き込んだ目を、むっとする熱が出迎える。
(砂漠なんか大嫌いだ)
ごしごしとこすった目が痛かった。
「へえ、随分派手な目印を作ったもんだな」
「え?」
「あれだあれ。見えるだろ?」
アクセルが指差す先は、太陽を全身に受けた砂よりもきらびやかな宮殿があった。
まぶしくもないのに目を細めたロクサスは、汗もかいていないアクセルを振り向く。
「どうしてすぐに行かないんだ? 目標はハートレスだろ?」
「んなこと俺が知るかよ。挨拶してこいって命令なんだからな」
「あの宮殿に?」
「正確には、あそこにいるっつー色男にだ」
「色男?」
「あのなあ、その説明まで俺にさせるのかよ?」
任務内容はわかっているが、ロクサスは腑に落ちないことがある。
俯いたロクサスに一瞬視線を走らせると、アクセルは地を蹴った。
身軽な背中がすぐに熱い空気に歪む。
その背を追いかけロクサスも干しレンガに足をかけた。


死角となる建物から下を窺いみる。
沈痛な面持ちで宮殿の門を見上げる青年、アラジンをロクサスの目はとらえた。
(何してるんだ?)
離れがたいかのように何度も宮殿を見上げていたアラジンは、しばらくすると意を決したかのように顔をそむけた。それきり振り返らずに門から離れ、市街の雑踏へと消えていく。
離れたくない。アラジンの表情は、はっきりとそう語っていた。
ずきりと、胸が痛んだ。とっさに胸に手をあてる。
突然湧いた痛みに驚くロクサスは、自分とアクセル以外に、しょぼくれた後ろ姿を眺める観衆が増えていたのに気がつかなかった。
「気にすることないのにねえ。アルはこの国を救ったヒーローなんだから、もっと堂々と胸を張っていいんだ」
「へ?」
空中であぐらをかいた人が、しきりと自分の言葉に頷いていた。
「なのに身分なんていうちっぽけなことのせいで、思うように愛せないなんて! ひどいわひどいわ!
なんて切ない! なんて理不尽! な、お前さんもそう思うだろ?」
「あ、ああ、まあ、たぶん」
ハンカチを噛みしめたジーニーにいきなり肩を抱かれてまごつくロクサスに代わり、アクセルが尋ねた。
「今のあいつだろ? ここのお姫さんと結婚するってのは」
(そんな話聞いてないぞ)
初めて聞く情報について小声で問いただすが、アクセルにとりあう気はなさそうだ。
(暑さにばててたお前が聞かなかっただけだろ)
(別にばててたわけじゃ)
「そうとも! それが聞くも涙語るも涙、せっかく思いが通じあったのに、アルは身を引くというんだ!」
よよよ、と泣き崩れたジーニーにスポットライトがあたる。
「私、ずっとずっと願っていた、いつか自由になることを。そして私はあなたと出会った!
あなたは私の世界を変え、がんじがらめの鎖からときはなってくれた、自由を教えてくれた!
忘れたことはないわ、二人っきりの砂漠の夜。星が、とてもとてもきれいだった」
どういう仕掛けだろう。くるくると変わる場面に、ロクサスは目を白黒させた。
「僕は、朝も夜もずっとずっと探していた。夢や希望と違う、何かを。そして僕は君と出会った!
君を失いたくない、いいや失えない。何も持たない僕に君は教えてくれたんだ。大切なのは想う気持ちだと!
愛してる。世界中の誰よりも、君が大切なんだ」
ひしりと抱き合う二人。
見事な一人二役の劇につい手を叩いてしまう。アクセルに肘でつつかれ、ロクサスははっと我に返った。
「ええと、その、二人が結ばれたんならよかったんじゃないかな」
「だろ? そうだろう? お前さんいいこと言うじゃないか! 
そうとも、愛する二人は永遠にしあわせに暮らしました、で誰もがしあわせこれ最高のハッピーエンド!」
なのに、とジーニーはがっくりと肩を下げる。
「アルはやさしすぎるんだ。いらないことまで考えて、ついにはジャスミンまで諦めようとしている」
はあー、と深い溜息にロクサスまで気持が沈んだ。
「おれが魔人でなければなあ。いっそ悪い魔法使いならよかった。そうすりゃちょちょいのちょいと…」
不穏な発言にロクサスが目を見開くと、ジーニーは大げさに口を塞いだ。
「おっと今のはオフレコよ。トップ中のトップシークレット! 絶対に内緒だぜ坊や?」
黒い帽子に黒い眼鏡と黒い服と黒づくめのジーニーに、ぎらりとひかる銃身を突き付けられ、ロクサスはうんうんと必死に首を振った。ロクサス自身も黒づくめなのに、ちっとも勝負にならない。
「話に聞くランプの魔人てのも、案外苦労が多いんだな」
「ランプの魔人だって? ノンノン、このジーニー様をランプと結びつけるなんて時代遅れもいいところ!
今はフライトアテンダント志望の魔人ですどうぞよろしく」
かつらをかぶり科を作ったジーニーが差し出した名刺には、魔法のじゅうたん航空とある。
名刺をつまらなそうに指に挟んだアクセルは、再び雑踏を見下ろした。
「どうやら見当違いだったらしいな。お世辞にも砂漠の洞窟を切り抜けたって奴には見えないね」
申し訳なかったが、ロクサスも同じ気持ちだった。
砂漠の向こうにあるという魔法の洞窟。そこにはハートレスが現れるらしいと、ロクサスは聞いている。
控え目に見ても、アラジンの力を必要とするとは思えない。
ロクサスの肩から、ほっと力が抜ける。
(あれ、なんだ今の)
まるでアラジンを巻き込まないことを、喜んでいるみたいだ。
離れがたいと饒舌に語っていたアラジンの表情がしきりに思い出され、ロクサスは言葉もなく宮殿を仰ぎ見た。
「しょうがないさ、恋の魔力ってのはどんな薬も効かない厄介なものだからな」
親友の痛ましい姿に心を痛めるやさしい魔人は、しみじみとため息をついた。
それから居住まいを正すと、改めてロクサス達に目を向ける。
「ところでおたくら、見かけない顔だけどアルに用でもあるのかい?」
どこかから取り出した虫眼鏡で黒いコートの二人組を眺めるジーニーには、不審を抱いている様子がありありとみえる。
アクセルは軽く手を広げとぼけてみせた。
「いや、ただの観光客さ。宮殿ってのを一度見てみたくてね」
「なーんだ観光にね。どうだい、こっちの暑さはこたえるだろ?」
「ああ、おかげでひどい頭痛に悩みっぱなしだ。ぶっ倒れないでいるのがやっとってところか」
「おっとそりゃ大変。いいかい、くれぐれも水分補給は忘れずに! これ砂漠の絶対ルール!
うっかり忘れるとあら大変、あっという間に干物の出来上がり!」
「了解、干物になる前に記憶しておくさ」
宮殿に視線を向けたままのロクサスの背をつつくと、目で合図を送る。
ロクサスが口元を引き締めるのを確かめると、宮殿の門を指差した。
「誰か出てきたみたいだな」
「なになに?」
ショールで身を包んだジャスミンが、不安げに首を巡らせている。
彼女はアラジンを探そうと、迷わずに雑踏へと飛び込んで行った。
「なあんだ、心配することなかったんだな。そうそう、お姫様だって待ってるだけの時代じゃ…」
うれしそうに言いながらジーニーが振り返ると、すでに二人組の姿はなかった。
「慌ただしい観光客さんだねえ。もったいないもったいない、物語の結末を見届けないなんて損してるも同然!
もちろん、お邪魔虫ならさっさとご退場願うがね」
その時、ふと頭をかすめるものがあった。
「ん、待てよ? 見かけない顔じゃなかったぞ。小さいほうの、あれは、あれは確か…」


「ほんとにこんなところにいるのか?」
砂漠は直接照りつける日差しがますますきつかった。
横に立っている、頭痛がしているようには見えないアクセルの横顔は、やけに涼しい。
相変わらず汗一つ浮かんでいない顔を、ロクサスは少し不満げに見つめている。
「たぶんな」
「たぶん?」
しつこく食い下がるロクサスに、アクセルは面倒くさそうに説明してやった。
「わざわざこんな砂漠に封印が施してあったんだ。おまけであの魔人とやらもだぜ? どう考えてもくさいだろ」
「でも、封印はもう無い。だからさっきのあいつに詳しく確かめるんじゃなかったのか?」
わかってるんじゃないかと、アクセルが疲れたように溜息をつく。
「あんな普通の奴が埋まっちまったもんを掘り返せるのかよ。役に立たないってわかりゃあ十分じゃねえか」
あ、そうかとやっと理解する。
「そうだよな」
ロクサスに異論はない。やはりアラジンを巻き込みたいという気持ちは、少しも無かったからだ。
幸いにアクセルも、結果からいえばロクサスと同じ選択をしてくれた。口元が、少しだけゆるむ。
けれど、砂漠は広い。この広大な中から、砂に埋まった洞窟を見つけ、ハートレスを呼び出すのだ。
考えただけでロクサスは頭がくらくらした。
「いても、とっくに干物になってるかもな」
「ならこっちが干物になる前に片づけようぜ」
「賛成。もう砂漠は絶対に嫌だ」
「奇遇だな、俺もだよ」
互いに苦笑を向けあうと、砂漠の先を目指し、長い道のりを歩きだした。

 

  • 08.08.30