宙を眺めているカイリの瞳は、すこしぼんやりしている。
何気なく視線を追ってみたデミックスは、カイリが見ているものを知ってげんなりした。
確かに自分達は見慣れているが、泥水を大げさにえぐくしたような色は、ずっと眺めていて気分のいいものではない。
「近寄らないで!」
そうっと様子をうかがっていたのが、ばれてしまったようだ。
全身に緊張をみなぎらせているカイリを、猫のようだとデミックスは思った。カイリのまわりには、近づけば手ひどく引っ掻かれそうな気配が漂っている。
女の子が、うすら寒い牢獄に閉じ込められていれば、そうなったって仕方ない。
デミックスは気の毒そうに眉尻を下げた。
「なんにもしないって〜。そんなに俺があぶなく見える?」
「みえる!」
「げ、うそ、マジで?」
カイリが短くきっぱりと答えると、デミックスは大きな身振りで額に手をあてた。
「そりゃあさ、ぱっと見で怪しいってわかってるけどそんなにはっきり言わなくてもさあ」
嘆いているわりには口調によどみがない。
「じゃあ、こう?」
檻に手をかけながら険しい視線をデミックスに向けたままのカイリは、いきなりにっこりとほほえんだ。
「その黒いコート、すてきだね。とってもよく似合ってる」
なんとも魅力的な笑顔だ。口元に残る幼さはどこか艶めかしくすらある。輪郭を縁取る髪がさらりとゆれれば、普通の男ならだらしなくにやけてしまうだろう。
デミックスも当然、やたらと照れくさそうに頬を指でかいた。
「あ、そう? いやー、実は俺もそうかもなーって思ってたんだよ」
でれでれになってみせると、カイリのほうが驚いたようだった。大きな瞳がすっかり丸くなっている。
この傾向は悪くない。心がすさんでいない証拠だ。
「…なーんてね」
すたすたと大股で近づいたデミックスはおもむろに檻の中へ腕を差し入れ、カイリの手首をつかみ、引き寄せた。
豹変した態度に、逃げ遅れたカイリは一瞬体をすくませたが、すぐにまっすぐ瞳を上げた。
絶対にひるむものかと、唇が横一文字に結ばれている。
「こら」
「いたっ」
ぴんと、デミックスの長い指がカイリの白い額をはじいた。
わざとやっていることなど、お見通しだ。
「ふてくされてる場合じゃないだろ。ここは、えーと、そうだなあ、めそめそするとかさ、もっとじゃんじゃん弱いとこみせなきゃ。サイクスだって君をかわいそうに思ったりするかもしれないだろ?」
デミックスなりにせいいっぱい丁寧に説明しても、額の赤くなったところをおさえているカイリはむっとするばかりだ。
「そんなことできない。だってあなたたちは」
「敵?」
有体にいえば、そうなる。カイリをこんな場所に閉じ込めているデミックス自身がそう捉えているのだから、間違いない。
「そう、そうだよ」
ほとんどやけっぱちに頷いたカイリは、変な顔になる。
「…って、そっちに言われるのって変じゃない?」
やや疲れた様子でカイリは肩をすくめた。
ますますいい傾向だ。
こんな状況だというのに、カイリが普通のままでいてくれるから、デミックスはうれしくなりそうだった。
「いいんだよ、それで。俺達は君の敵で、とんでもなくわっるーい悪役、だろ?」
その敵が目の前でにこにこしているのだから、カイリが困惑するのも無理はない。
手を離してやると、カイリは一歩だけ後ろに下がった。警戒するように身構えている。
(変な人だなあ)
困ったようにデミックスを見つめる瞳のほうがよっぽどおしゃべりで、何を考えているかわかってしまった。
デミックスは親しげな笑顔になる。
「とにかく、さっきのなし。火事にどばどばーって油そそぐだけだし、第一似合わないって」
「それじゃあ、泣き真似をすればここから出してくれるの?」
「もう一声かなー。逆に聞くけど、完全にだませる自信ある?」
「もちろんある! …かも」
「それってヤバい、かも」
二人はこれでも一応敵対している。
「でも、やってみなきゃわからないよ」
「んじゃ、結局だめだったら?」
「やれることは全部試してみる。なんでもいいから、とことんやってみなきゃ」
「それでもだめなら諦める?」
「まさか。そのときは、別の方法を考えるよ」
「へえー、ガッツあるなあ」
前向きさにデミックスが感心していると、カイリは何か耐えがたいことがあるかのように顔を伏せた。
「ん、どしたの?」
尋ねても、カイリはただ首を振るばかりだ。あわてて気を紛らわせようとしているようにみえる。
(やば、なんか思い出させちゃったかな)
表情というのは厄介なもので、ちょっとした変化があれば何を考えているか見えてしまう。その中でも厄介なのは、悲しいのに無理して笑おうとするときだ。一目でわかった。
「やっぱり、泣き真似だけはやめとこっかな。きっと笑っちゃうから」
顔を上げ笑おうとするカイリに、デミックスは目を細めた。
「そそ、それがいいよ」
手を伸ばして頭をなでてやろうとすると、カイリはさっとまた後ろに下がった。
瞳はすでに警戒する色を取り戻している。探るような視線はまっすぐデミックスを見据えていた。
行き場をなくした手をだらりと下げたデミックスはごまかすように笑った。

話せば話すほど、カイリはどこにでもいる当たり前の女の子だった。
はすっぱなふりをしてみたり、こんな風に落ち込んだり、いそがしく変わる表情は見ていて飽きない。
本当に、ごく普通の女の子だった。
特別にはどうやっても見えない。
まじまじとカイリを眺めているデミックスは、首を傾げるしかなかった。
「なに?」
「ん? ああ、なんでもないよー」
もちろん自分達に良心などあるはずない。
だが無力な少女を利用するのは、どうにも不自然な気がしてならなかった。無理矢理連れてくるなんて、スマートなやり方ではなかった。正直言って格好悪い。
(なあアクセル、おまえってそーいうキャラだっけ?)
デミックスの胸には釈然としないものがごろりと残っている。
デミックスが知っているアクセルは、たとえ表面だけだとしても、さもしい真似をするやつではなかった。やたらと頭がよく、裏方の仕事を好み、けして自分から舞台に立とうとはしなかった。
自分の楽しいことを優先する。
デミックス自身にもある勝手気ままに生きたいという姿勢には、少なからず共感していたのだ。
それに、共感するだけなら、タダだ。
「ねえ君さ、ここから逃げたいだろ?」
いきなり言われたカイリはびっくりしてしまった。
「どういうこと?」
「逃がしてあげてもいいってこと。あ、もちろん俺が逃がしたってのは内緒にしといてね」
後半部分で声をひそめたデミックスは、ちょいちょいと手でまねいてみせる。
近寄るのをためらってはいるが、カイリの足は動きたくてたまらないようだった。
そろそろと近づいてくるあたり、ますます猫に似ている。
「その代わりっていっちゃあなんだけど、教えてくんない?」
「教える?」
カイリはぴたりと足を止めた。整った眉が怪訝そうに寄せられる。
「教えるっていっても、私は何も知らないよ。ほんと、ぜんぜん、なーんにも、ね。それでもいいの?」
つんとすましてみせるところが、いかにも知っていると白状しているようなものだ。
デミックスは破顔した。戦うといった実力行使より、直接話を聞くという平和なやり方のほうがよっぽどいい。
「まあまあ、そう言わずにさあ。俺、君のことが知りたいんだよ」
「私? ええとね、私が好きなのは明るくて広い場所、きらいなのは暗くて狭い場所かな」
「わかるわかる、その気持ち。あとは、そうだなあ。君がどこからどうやってどうしてここまで来たか、とか」
カイリが顔色を変えるのをデミックスはちゃんと見ていた。
(ふうん。やっぱ、えーと、なんか目的があるってことだよな)
あのアクセルがきちんと腹を割っているとは考えられない。しかしカイリの反応からすると、彼にはやはり考えがあったようだ。
「頼むよー、ちょこーっとでいいからさ。それに俺、約束は守るよ?」
揺さぶられまいと、カイリは口をつぐんでしまっている。悪いことをして叱られた子供のような瞳だった。
さあもうひと押ししようとデミックスは腕を伸ばしかけ、途中で引っ込めた。

「げっ、いつからいたわけ?」
なんのことだろうとカイリはきょとんとしている。
「さあ、はっきりとは覚えていないな。たしか、そちらのお嬢さんを口説いているところからかな?」
それでは、最初からではないか。
牢獄の上に悠々と腰かけているルクソードを見上げると、カイリもつられて視線を上げる。手入れが生き届いた汚れのない黒いブーツが小さく見えた。
「やめてくれよなー、大事な話してるときに」
デミックスは邪魔をした無粋を咎めるような口調でぼやいた。大事な話を聞かれたことは、ちっとも困っていないようだ。
片方の手の中で楽しげにカードを広げているルクソードは、軽く肩をすくめた。
「それはすまなかったな。外野だと思ってくれて構わなかったんだが」
「そんだけ自己主張しといて? まあ、いいけどさあ」
音もなく隣に降り立ったルクソードは、デミックスを目に入れずカイリに恭しく頭を下げた。
「どうぞ無礼をお許しを、凛々しいお嬢さん。君達の邪魔をする気はなかった。ただ君のことと聞いたら、どうしても知りたくなってしまってね」
より丁寧に、心をこめて、さりげなく褒めたたえるのも忘れない。
洗練された紳士的な態度にカイリが目をぱちくりさせるので、デミックスはちょっと口をとがらせた。たしかにルクソードのほうが話を聞き出すのに適役だろう。さりげない嫌味も嫌味にならないところが、よっぽど嫌味だ。
「続きはいいのか?」
立ち去る気配もなくルクソードが促してくれるので、デミックスは不機嫌に首を振った。
「いいって、もう。やる気もどっかいっちゃったし」
「それは残念だ。やはり外野は退散したほうがいいらしい」
もちろん、とデミックスが頷くと、ルクソードは余裕ありげにあごに手を添えた。
「なら君の大事な話とやらも無関係ではない勝負は、一人で見学することにしよう」
ん? とデミックスはいぶかしんだ。ずいぶん歯にものが挟まったような言い方をするではないか。
「なになに、なんかあったわけ?」
「廃墟に役者が集まりつつある。我らが指導者も既にそちらへ向かった。ソラもほどなく舞台に立つだろう」
意外にもあっさりと教えてくれたので、デミックスは深く考えずに機嫌をなおした。
「えーと、ホロウ…なんとか、だっけ。なにしにさ?」
「ひとまず場所を変えたほうがよさそうだ。これ以上はお嬢さんの耳に入れるには少々過激だからな」
先ほどよりも青ざめているカイリを一瞥したルクソードは、背を向け歩きだした。
内部事情というのは、あまり部外者に聞かせていいものではないらしい。それもそうか、とデミックスも後に続くことにする。
「待って、ねえ待って!」
すがるような声をあげるカイリに、デミックスはにこにこと手を振った。
「じゃあね、またあとで」
話なら、いつでもできる。
(ま、いっか。そのうち出してあげれば)
「おねがい待って!」
背中に聞こえる物々しい牢獄に閉じ込められたカイリの声は、徐々に小さくなった。

「で、なにが始まってんの? マジで劇とかやってるわけじゃないんだろ?」
「どうかな。我らが指導者はほれぼれするほどの芝居上手だ。大舞台に張り切っているのかもしれないぞ」
わかりにくく話をするなよ、とデミックスは眉をひそめた。
「俺戻っていい? おしゃべりするなら女の子のほうがいいんだけど」
並んで歩きながら嫌な顔をしてみせると、ルクソードは呆れるでもなく楽しそうに笑った。
「彼女は何も知らないさ。自分でも言っていただろう? 何も知らないと。期待する方向を間違えたな。あの子はどこにでもいるただのお嬢さんさ」
「ああやって捕まえといてんのに?」
「これは珍しい。君でも不思議に思うことがあるんだな」
「そりゃ、たまにはね。やっぱ気になっちゃうだろ? なんつーか、いろいろとさ」
アクセルやサイクスが何を考えていようと、デミックスには関係ない。ただ今までとは違う毛色の展開が少しばかりひっかかる。
もし不測の事態が起こるなら、デミックスだって困ることになるからだ。心が手に入らなければ、今までの苦労が全部ぱあになってしまう。想像しただけで寒気がして、デミックスはぶるっと体を震わせた。
「よくわかんないけど、いちおう計画通りなんじゃないの? ならいいじゃん。余計なことしなくってもさ。心あつめて、はいおしまいじゃだめなわけ?」
「ある程度の余興がなければ楽しめないだろう?」
「余興、ねえ」
たしかにカイリはお芝居のヒロインにもってこいだろうが、大げさなことには変わりない。
「アクセル、なに考えてんだろうなあ。だっさいことやっちゃって」
「サイクスに聞いてみるといい。彼は目星がついていると言っていた」
「やーだよ、おっかないもん」
「ならば当人に聞いてみてはどうだ?」
「むりむり。だって逃げたんだろ、あいつ。追いつけっこないって」
「だが、役者には含まれている。さすがのアクセルも自分の役どころからは逃げられないさ」
あ、そういうことかとデミックスはようやく理解した。
「ふーん。そんで結局さ、大勢集まってなに始めてんの?」
ルクソードは答えなかったが、含み笑いをデミックスは返事と受け取った。芝居がかったルクソードのやり方には慣れている。
(ホロウ…なんとかか)
風景を思い描いてもはっきりしなかったが、場所だけならどうにか覚えていた。
行ってみても損はないだろう。サイクスも出かけているから、丁度体も空いている。少しだが興味もあった。
「そういうことなら、俺もちょっとだけ顔出そっかな」
「それがいい。状況を確かめれば君も安心できるだろう」
頷いて回廊を開いたデミックスは、ふとルクソードを振り返る。
「なあ、ルクソードが配ってるカードって俺も入ってんの?」
これにもルクソードは答えなかった。
なぜだかデミックスもちっとも追及する気にならないのだ。



ひやりとした風がやむことなくふいている。赤く広がる高い空は、地上との合間にひどく美しい色を作っていた。
(うっわ、すごいな)
うごめくハートレスの群れにデミックスは口の中で感嘆の声を上げた。
(百、二百じゃすまないぞ。千くらい? もっとか?)
渓谷を見下ろせる高台からは、おびただしい数のハートレスが街へ侵攻しているのが見える。
それほど時間もかからずに城壁までたどりつくだろう。
(さっすがゼムナスだなー。やることのスケールが違うよ)
妙なところで威厳を再確認する。こんなやり方、デミックスでは思いつけもしなかった。考えようともしないが。
どこかでサイクスも動いているのだろうか。その割に、気配はしない。
「そうだよなあ、目立ってたら見つかるし、意味ないもんなあ」
やたらと目立つ格好のデミックスがぼやいた。
集まっているといってもこの広い世界だ。探すのは骨が折れることだろう。
うんざりしていると、いきなりうなじにぴりっとした感覚が走った。

「うわっ」
体ごと地面に転がったと同時に上半身があった場所をチャクラムが横切っていく。大きく輪を描いて戻ってきたそれは、涼しい顔をしたアクセルのてのひらに収まった。
気配はまったくなかった。本能が知らせてくれなければどうなっていたかわからない。
荒く息を吐くデミックスに、アクセルは親しげに片手をあげた。
「よお、久しぶりだな」
「おう、久しぶり…って違うだろ! あぶなかったぞ今の!」
ほえるデミックスにまあまあと言うようにアクセルはてのひらを向けた。武器はしまっていない。
「挨拶だよ、挨拶。そっちもそのつもりなんだろ? なら早いほうがいいじゃねえか」
「は、はああ?」
言うが早いかアクセルは斬りかかってきた。躊躇いはかけらもみられず、その勢いに反射的に飛びのいたデミックスの胸元をチャクラムの刃がかすめる。踏み込まれたもう一撃はシタールで防いだ。鈍 くぶつかりあう音が鼓膜に響く。
「おい!」
声をかけるが攻撃はやまなかった。あわててモザイク模様の地を蹴り、距離を取る。
「おいってば!」
空気が熱い。目の前で弾け飛んだ炎の塊を、デミックスは腕で防いだ。髪の先がちりちりと焦げるにおいがする。残った炎が追いかけてくる前に水の壁を作ると、またその場から離れる。しつこい猟犬のようにアクセルの視線が追いかけてきた。デミックスは無意識に奥歯を噛んだ。
アクセルが向かってくるのを、息を詰めて待つ。彼と自分を結ぶ線が直線になったのを見逃さず、地面に手をつき貯めていた息を吐いた。立ち上る鋭さを持った水の柱がアクセルの左腕をとらえ、チャクラムをはじきとばす。間を置かず水に粘度を持たせこぶしほどの球体にし、放たれたもう片方のチャクラムにぶつけ、こちらも封じた。
だが驚いたことに、アクセルは勢いを殺さなかった。眼前まで迫った不敵な表情が不思議とゆっくりとして見え、すぐにみぞおちに強い衝撃が走る。肘打ちを防ぎきれずデミックスはえずいた。
(やばい)
目の前が真っ暗になる前に、離れようとするアクセルの腕をつかんだ。不意の行動にアクセルがうろたえるのがわかったが、構わずデミックスは空中から水のつぶてを降り注がせた。
「ぐっ」
背に受けた攻撃にアクセルがうめいたときにはデミックスも視界を失っていた。黒い中にちらちらと何かが走っているようにしか見えない。
呼吸ができるようになって明るさが戻ってきたときには、アクセルは離れた場所で態勢を整え直していた。
まだ来るのか、と少し逃げ腰になったデミックスに、にくらしいくらい清々しい笑顔を向けている。
「相変わらずやる気ねえのな」
みぞおちの痛みにデミックスは顔をしかめた。
「最初からないって、アクセルが一人で張り切ってるだけだろ。それにこっちで張り切ってるのはサイクスだけだって」
「ん?」
ようやく構えをといたアクセルは、少し呆れ気味に手を広げてみせた。
「はは、なんだよ、俺の勘違いか。そりゃ悪かったな」
「ったく、しちゃいけない勘違いだろそれ」
焼け焦げた髪を払いながら、溜息をつく。
「い、つつ…」
息を吸っても吐いてもあばら骨がきしんだ。一、二本はひびが入っているかもしれない。これでは自由に動けそうになかった。
デミックスのうらみがましい視線などどこ吹く風で、アクセルはハートレスの群れを眺めている。腕を組み見つめる横顔は涼しげで、相変わらず考えていることがわかりづらい。
しかし、何か違和感が残る。
(どうしたんだ、こいつ?)
表情が妙に穏やかなのだ。吹っ切れた、というのだろうか。追われているとわかった割に図々しいというか、さすがというか。
「なあおまえさ、戻りづらいんだろ?」
意外そうにアクセルが振り返った。
「かなり余計なことして、その上逃げたもんなあ。でもさ、頭下げればゼムナスもサイクスも許してくれるって。今からでも遅くないから謝っちゃえよ」
「余計っつーのは心外だな。俺は何一つ逆らっちゃいないぜ」
「えー、そうかあ?」
空気を震わせる音がだんだん大きくなっている。ハートレス達の足音だった。それをアクセルは目で指す。
「そういうお前はいいのかよ。裏切者とおしゃべりしてる場合じゃねえんじゃねえの?」
「へ? おまえ、逃げたんじゃなくて裏切ったのか? なんで?」
アクセルは大きく口をあけて笑いだした。
「んなの、俺の方が知りてえよ」
お、そういえば、とついでに思い出したかのようにアクセルがぽんと手を打つ。
「そっちに客が行ってるか? こんくらいの小さいやつで、やたらうるせえの」
あばらのあたりくらいの高さを示したアクセルに、デミックスはつい答えてしまった。
「カイリ? カイリならサイクスが拾ってきたけど」
「…やっぱりな」
なにがやっぱりなのだ。デミックスにはさっぱりわけがわからない。
「どういうことだよ。おまえ、ほんとに裏切るのか?」
「ってことらしいぜ、どうやらな」
自分でもわかるほど急速に頭が醒めていった。
こいつはもう、同じじゃない。
「じゃあな。そっちはそっちで頑張れよ」
そう言うと、アクセルは手も振らずに姿を消した。
(がんばれって?)
ずいぶん空々しいことを言うので、デミックスはくすくす笑ってしまった。
「ほんとに勝負してたんだなあ」
抱いた興味も共感も彼の特徴も、あらゆるものが頭から消えていく。
あっけないものだ。どんな顔をしていたかすらもう定かではない。
不思議なもので、ひとたび興味がなくなると、記憶から霞のように消えてしまうのだ。
(俺ってこんなに忘れっぽかったっけ)
前はもう少し覚えがよかったような気がするが、はっきりしない。

と、背中に元気のいい声がかかった。
「あ、おまえ! ドロボウでXV機関で情けないやつ!」
「おい、人聞き悪いこというなよ!」
「ぜんぶ事実だろ!」
何をそんなに怒っているのだろう。ソラはかんかんになってデミックスをにらんでいる。
やけに顔を見てくるので、デミックスはげんなりした。
「なあ、えーと、ロクサス? わかってるよ、おまえもなんだろ、どうせ」
「何わけのわかんないこと言ってるんだ!」
「ほら、やっぱりなあ」
肩を落として落胆するデミックスに、ソラは確認するように首を振った。
「…おまえじゃ、ないな? どう考えても弱そうだもんな」
「だから、人を見かけで判断するなって! …そりゃ、やりあうのは苦手だけどさあ」
「そうやって逃げる気か? そうはさせないぞ!」
いっせいに構えるソラ達に、デミックスはうっかりひるんでしまった。
今日はとことんついてない。会う奴全員がやたらと好戦的な日だった
「はあ。ずいぶん張り切ってるなあ、そっちも」
「ごちゃごちゃ言ってると、こっちから行くぞ!」
そういえばロクサスも同じではなかった。とたんに、頭が醒める。
「…黙れ裏切り者」

 

  • 09.01.17