忘却の城から、アクセルは何事もなかったかのように帰ってきた。
 たった一人だけで、他に行った者は誰一人として戻らなかったというのに。
「ま、色々あってな」
「だから、色々ってなんだよ、一体何があったんだ? ラクシーヌ達はどうなったんだ?」
「おい、戻ってきてすぐに質問攻めかよ? こっちだって色々あって疲れてるんだぜ」
「……そう、だよな。ごめん」
 少し不満げではあったが、ロクサスは頷いた。
 確かに、戻ってきたばかりなのにいちいち問いただすのは、上手いやり方ではないのかもしれない。
 第一、アクセルに申し訳ないと、ロクサスは思った。
 けれど、まとわりつくような不穏なにおいを、アクセルが漂わせているのにも、ロクサスは気付いていた。
 どこが、とは説明しにくい。言葉にしがたい雰囲気。それが、同胞を土に還した後の片鱗であると、ロクサスにどうやって判別できよう。それに、説明するための材料を、ロクサスは持ち合わせていなかった。
(何か、あったんだ。忘却の城で何かが)
 納得していないロクサスの表情に、アクセルは苦笑を浮かべる。
「仮眠を取ったら教えてやるよ。っと、その前に俺達のボスに報告しておかないとな」
「い、いや、いい!」
 ロクサスはとっさに、首を強く振っていた。
「疲れてるんだろ、だったらゆっくり休んでおけよ。報告が少しくらい遅れても、ゼムナスだってまさかダスクにしたりはしないだろうし……」
 声がうわずっているのが、アクセルにもわかったろう。だがアクセルは軽く息をついただけで、尋ね返したりはしなかった。
「んじゃ、そうさせてもらうぜ」
「ああ」
 真っ直ぐ伸びた背を見送ってから、ロクサスも踵を返した。
 じっとしていると、色々考えてしまう。考え出してしまったら、もう自分では対処できなかった。後から後から疑問が湧いてきて、頭の中にごろごろとした石が詰まっているようになってしまう。
(……何があったんだよ)
 すたすたと歩いている間でさえも、疑問が湧いてくる。
 喉に何かがひっかかり、飲み下せないでいるような気がして、ロクサスの気分は重くなった。
(消滅したってことは、アクセル以外みんな消え……)
 ぞっとして、ロクサスは思わず立ち止まった。
 消滅という言葉は、おそろしいほどの存在感を持っていた。
 幼い子供が初めて死を意識したように、ロクサスの指先はぴりぴりと痛み、背中を冷たい汗が流れていく。
 なぜ、と不思議に思うほど、突然の感覚だった。どうして自分は、こんな風に感じているのだろう。
 呆然と掌を見詰めていると、ふと引っかかるように、気付いたことがあった。
(どうして、アクセルだけが戻ってこられたんだ?)
 自分達を消滅させたやつがいる。ロクサスにとっては、不快な感覚ばかりがわく相手だった。仇を討ちたい、などという上等なものではない。ただ不愉快な気分だけがある。自分が対峙したなら、けして容赦はしない。
 けれど、その相手とアクセルは、顔を合わせなかったのだろうか?
 たとえアクセル達が別々に行動していたとしても、なぜ彼だけ消滅させられなかったのだろう?
 それぞれに実力もあり、腹になにか隠し持っていると思わせる顔を一人一人思い出しながら、ロクサスは自分でも知らないうちに視線を下ろしていた。
 ハートレスを倒している間に、汚したのだろう。靴の爪先が泥で汚れている。こすったようなその汚れを、ロクサスはただ眺めていた。
「おーいロクサス」
 後ろからかかった声に、ロクサスは時間をかけて振り向いた。アクセルは、さっぱりと笑っている。
「悪い悪い、さっき礼を言うのを忘れてたぜ、ありがとな」
「……何のだよ?」
「何って、お前だけだからな。俺にゆっくり休めなんて言ってくれるのはよ」
 からかう調子で、アクセルは手を広げてみせる。
「そういう気遣いは大事にしろよ、人間関係の基本ルールだからな。ま、俺達が思いやりってもんを持つのも妙な話だけどよ」
 おかしそうに笑い声をあげるアクセルに、ロクサスはぽかんと口をあけている。
「それだけだ。じゃあな」
 背を向けたアクセルは、回廊に身をくぐらせようとする。なんともあっさりとしたものだ。
 ロクサスはとっさに、声をかけていた。
「ア、アクセル!」
「あぁ?」
「おまえが戻ってきてよかったって、俺は思うよ」
 振り向いて眉を片方持ち上げたアクセルは、にっと笑った。
「へえ、ノーバディのお前がか?」
「これが人間関係の基本、なんだろ」
「それもそうだな」
 またあっさりと、アクセルは背中を向けた。かるく片手を持ち上げたのは、彼なりの挨拶なのだろう。
 ロクサスは前を見ながら、再び歩き出した。
 重かった気分はなぜか、はればれとしている。足取りも軽い。
(そうだ、聞かなくてもいいんだ。自分で調べられることだし、すぐに知りたいってわけでもない)
 アクセルが戻ってきた。今はそれでいいのだと、ロクサスは思った。

 

  • 09.11.07