らぶらぶかっぷりゃ出張中

引き続きエシャミュにもえもえしているのですが、いかんせんマンガ版は毛色が違いました。
エッシャーさんとミューシャの、それはもう険悪な再会からはじまるものとばかり思っていましたから、
蓋を開けてみると世界観がまるっと現代だったのは、椅子からずでんと転げ落ちちゃうほどでしたとも。
せっかくのコミカライズ、しかもシナリオ担当の方が原作だというので、そらもう期待していたのです。
エッシャーさんとミューシャはもちろん、あの世界に生きている人達の言葉が、地についているがすごく好きで。
そんな次第で、申し訳ないとは思うのですが、どうにもマンガ版は敬遠していたのでございました。
けれども! エッシャーさんとミューシャが登場してくれてから、シモーヌ華麗にこうもりさんになりましたとも。
第1、3金曜日を心待ちにしながら生きるこうもりシモーヌ(ここまで一人称)に成り下がりました。
さんざんぶーたら文句言いましたが、エッシャーさんとミューシャがいるなら話は全然別。
だってエシャミュがらぶらぶいちゃいちゃしてるのを見逃せますかっ。そんなの無理に決まってます!
ひとつの可能性、まったく別の次元でのエッシャーさんとミューシャでもいいのです。
本史の二人が、別の生き方をしていたらというのは、原作でも見てきましたもの。それもまた二人の人生。
それにアルカアレーナでは誰も死んでいないのですから、心もささくれずに済むのです。
他の次元で二人と戦うのが辛くて辛くて仕方ないのとは別としてうっうっ…。

さて、マンガ版の舞台は現代なので、当然エッシャーさんとミューシャも今っぽい服装でございました。マジでか!
エッシャーさんはいかにもワルイケメン風(チンピラ!)、ミューシャはフードのあるコート(ブラウス!)で、
一瞬どちらさまでございましょうか? と思ったり思わなかったりしましたが、似合っているので問題ありません。
直良さんの絵ではなくとも、エッシャーさんとミューシャに会えた感激はひとしお。
原作ではガードが鉄壁なエッシャーさんの鎖骨に興奮したのはここだけの秘密ですとも。
ミューシャってば縦ボーダーのブラウスなんて着ちゃってかわういのう!!(*ノノ) しかも黒タイツひょほー!
ついうっかり、ロシアでその服装はあまりに軽装すぎないかといらぬ心配をしちゃいますが、
ミューシャはエッシャーさんがあっためるので問題ないのだと今更気付き、胸をなで下ろしたところですはあはあ。
いやあ、エッシャーさん、チンピラっぷりが板についているといいますか。
ザ・ワルイケメン! のオーラがびんびんで、目がしばしばします。なんという悪役顔でしょう。はああんすてき。
絶賛エシャミュ派の嗅覚は、すでにエッシャーさんがデレ期に突入していることを嗅ぎつけておりますとも。
相互フォローもばっちりですし、ちゃんとお礼言っています。つまりデレ期であるのは明白的な!
うひひひきっと次回はエッシャーさんが更にミューシャにデレてくれるのですねうへへへ。
どうかエッシャーさんとミューシャが、無残に殺されてしまうことがありませんようにと拝むばかりです。
ギャリックとアルトがむごく殺されたときは、お門違いだとわかっていてもうらんでしまいました。
好きな人たちが殺されるのはやっぱり見たくないものです。ましてや、本来は死なずにすんだはずなのですから。
うざいのは承知で嘆願書を出そうかと考えちゃうほどです。ぜひひとつ! エシャミュがらぶなのを!

なによりすっげモエたのが、中表紙のエッシャーとミューシャの正装です。
エッシャーさん、びっくりするくらい貴族っぽい格好が似合いませんなっ。もうたまげるくらいほんとに。
なるほど自分で「こんなナリを〜」と言うわけだと深く納得した次第です。ワルイケメンに育ってしまいましたもの。
一方ミューシャのお嬢様姿は大変かわいらしくかつ色っぽく、食べられちゃうのは秒読みかと存じますはあはあ。
やはりヴァティーママの娘(とほとんど同じ)ですから、ミューシャのお胸もとってもたゆんなのですじゅるり。
ルパンダイブでむしゃぶりつきたくなっちゃうとは口が裂けてもいえませんが、それはエッシャーさんの特権。
ぜひとも言葉責めを交えながら脱がしちゃってほしいものだとよだれをたらすに留めるのが正しい選択です。
ミューシャのドレス姿のめんこさは、様々な意味で食べてしまいたいとエッシャーさんも思っていることでしょう。
嫌みにならない飾りリボン、袖口と裾でおそろいのフリル、小さくほどこされた薔薇の刺繍と揃えたコサージュ、
大きく開いた胸元は清楚さを損なわず扇情的で、ミューシャに、ほんとうによく似合っています。
もしかしたら、別の次元では二人は離ればなれにならず、こうして貴族の暮らしをしていたのかもしれません。
思い詰めてしまう傾向のあるミューシャが美しくドレスに身を包んでいる姿は、なんだか胸がいっぱいになります。
もちろん、子どもたちに囲まれ、にぎやかに楽しく家族になって暮らす二人も、すごくしあわせになりますとも。
エッシャーさんは、原作でもマンガでも、お芝居風の言い回しを好む様子が見て取れます。
自分が主役と言わんばかりですが、それがまた様になっててかっこいいのがエッシャーさんのすごいところ。
正装が似合わないなんて失礼を言いましたが、やはり彼の存在感は、貴族のそれなのかもしれません。
けれど生まれなどはあくまでも始点に過ぎず、身につけた自信と実力は、彼の生きる力が与えたのです。
そういうものは、きっとミューシャにとってまぶしくうつるのでしょう。自分が矮小に思えるくらい。
ただ、ミューシャが復讐心を捨てられたのは、正しく物事を見ようとしたからです。
エッシャーさんが、ミューシャに惜しみなく生きる力を分け与えたのも支えにもなりました。
二人とも同じくらい真っ直ぐな魂の持ち主なのは、幼い頃に等しく分け合ったからなのでしょう。
それが、再び二人の道を同じにしてくれたのです。

はあ、それにしても興奮しきりで眠れそうにありません。
今晩のおかずはミューシャのドレスに手をかけているエッシャーさんで決まりです。
いえやらしい意味ではないですよ、ほんとです、これでもこうもりシモーヌは常識ある大人のつもりですから。


  • 2012.03.17