どっとわいた歓声も、すでに聞き飽きるほどで、リッドはわざわざ顔を上げはしなかった。きっと誰かが一息に酒を飲んでみせて、場を盛り上げたのだろうとわかっていたからだ。案の定、称える拍手と遠慮なく背をたたく音がして、再びざわめきが戻ってくる。
 夜も更けたというのに室内はむっとするほど暑い。ラシュアンの若い男達がお目付役もなしに集まっているのだから仕方ないにしろ、いくつも祭りが重なったかのようににぎやかだった。
 酒がすっかり回った若い男達は、誰かがおどけていった言葉にわっと笑い出しては、また話し出す。酔っているから声も大きい。あんまり声が大きいので、逆に聞き取りにくいくらいだ。
 そうなるのは初めからわかっていたので、リッドは大きなテーブルの端っこに陣取っていた。
 主役である明日の花婿は真ん中に囲まれているし、盛り上げ役も中央にいる。最初の乾杯には付き合ったし、もういいだろうということで、食事に集中していた。
「これうまいなあ、よーく味が染み込んでてやわらかくて、こう、肉汁があふれるのがさあ」
 リッドと同じく端っこに寄っている、今夜のにぎやかな場を提供した家主が、ベア肉の煮込みを噛みしめしみじみと言った。ちなみにリッドと同じく独り暮らしということで、こういう集まりのときは、大抵この男の家になっている。その家主に、ときちんと分けて持たされた料理の評価がいいのは、リッドにはなんとなくくすぐったかった。
「なあリッド、この味どうやってだすんだ? やっぱり一晩寝かせておくとか?」
「あー、たぶんな。オレも詳しくは知らねえんだ」
「ほほー、あー、たぶんな、ねえー」
 わざとらしく間延びした返事をしながら、家主はにやにやと顔をゆるめた。
「……なんだよ、気持ち悪ぃな」
「いや、ついなあ。だよなー、リッドにはあったかい飯を用意してくれる人がいるもんなあ」
「おい、人ん家のぞき見してるのかよ? もしやってるの見かけたらタダじゃおかねえぞ」
 盛り上げ役の一人が、運悪くこの発言を聞きつけたらしい。
「なんだなんだ、いつでも用意して待ってるわ〜、ってそりゃ自慢か? のろけは主役だけにしておけよ?」
 視線が一斉に寄せられるのに、リッドは内心げんなりした。近頃、とみにこういうからかいを受けることが多い。
「うっせえ、誰がのろけたんだよ、誰が」
「誰ってなあ、主役以外に自慢しちゃいけないやつだよなあ」
「だからしてねえっての。あと下手くそな物真似もやめろ、気色悪ぃぞ」
「ひゃー、お熱いことで。とはいえ主役を差し置いちゃいけねえよな、おい、次はリッドだとよ!」
 一際大きなカップに酒がなみなみと注がれ、挑むように目の前に置かれ、ますます一同は盛り上がった。
「お、いいぞー!」「やれやれー!」
 こうなると酔っ払いというのは手に負えない。その場にいる全員がはやし立ててくるからうるさいことこの上なかった。
「くっそ、しゃあねえなあ。いいか、よく見てろっ!」
 といっても、リッドも本気で腹を立てるわけではない。新しい花婿とその花嫁の門出を、皆で祝っているのだ。
 勢いよく立ち上がり、カップを持ち上げ傾ける。酒が喉の中をなめらかに過ぎ、胸がかっと熱くなる。
 リッドが空になったカップを勝ち誇るようにかかげてみせると、また歓声がどっとわいた。
 遠慮なしに肩や背中を叩かれながら椅子に腰を下ろすと、家主がそっと水の入ったカップを押し出してくれる。口に残った酒の味を消すにはありがたかった。
「しかしいいよなあ、リッドは。うまい料理作ってくれる人がいるんだもんなあ」
「ったく、いい加減しつこいっての」
 リッドが愉快そうに喉の奥で笑うと、家主は深刻そうに肩を落とした。
「くーっ、不公平だぞお、こっちはまだ独り身なんだぞ一人ってなあ、さびしいんだぞおっ」
 水が必要なのは、どうやらこちらのほうらしい。水差しから新しく注いでやると、家主はほとんどくしゃくしゃになった顔で飲み干した。盛り上げ役の男がなぐさめるように背中をさすってやっている。
「聞き捨てならないなあ、独り身のほうがいいことだってあるんだぞ? 朝寝坊だってし放題だし、服は裏返しに脱がなくても叱られないし、こうやって男同士遠慮なく騒げるじゃないか」
 そう語る男が、顔を合わせる度に春に生まれる子供のことをうれしそうに語ってくるのを、リッドはしっかり覚えている。彼の新妻のほうも同じらしく、今朝の食卓でファラとひとしきり笑い合ったのも、記憶に新しい。
「それに女ってのはやたらと支度に時間がかかるんだ。教会に行くだけなのに、『ちょっと待って〜』を何回聞かされるか知ってるか? やれ髪がまとまらないだの服の色が合わないだのってそりゃあもう、なあ」
 リッドは思わず首を傾げた。旅の間も、そしてここしばらくも、思い当たる節が全く無かったからだ。
「そうかあ? んなに時間かけられたことねえけどな」
 あ、しまったとリッドが後悔したときには手遅れだった。
 目を丸くした男二人が、示し合わせたように新しく酒を注ぐと、有無を言わさず目の前に置いた。



 遅くなることは伝えておいたのに、窓の向こうに淡い明かりがあるのがわかった。
 リッドの気配を感じたのだろう、ファラが戸を開けひょっこり顔をのぞかせる。
「おかえり、もっと遅いかと思ってたよ。ん、やっぱりちょっとお酒くさいね?」
 くすくす笑いながら、ファラが手慣れたようにリッドの腕を取る。されるがままに引き入れられている自分が、リッドにはひどく遠く感じられる。反面、酒が回った体にファラの手のひらが心地良いほどひんやりしているのを、五感が嗅ぎつけていた。
 ソファに座らせてもらうと、リッドは鼻をひくつかせた。テーブルの上に、まだ湯気の立っている鍋が置かれている。
(あー……)
 なるほど、とリッドは妙に納得した。
「はいはい、ちょっと待ってね」
 リッドの視線を別の意味に取ったのか、ファラは用意しておいた麦粥を皿に取り分けようとする。
「いや、いいわ。そんなに腹減ってねえし」
「そなの? リッドのことだから足りないかなーと思って用意しといたんだけど」
「……これから出かけねぇよな?」
「こんな時間に? もうとっくに日付変わっちゃってるよ」
 話している間もファラは手早く鍋と皿を置くと、ぱたぱたと寝室へ入っていった。すぐに畳んである寝巻を手に戻ってくる。少しかがんで顔をのぞき込んでくる大きな瞳を、リッドはじっと見返した。
「だいじょぶ? 一人で着替えられる? リッド? んー、だめかあ、これはかなり酔って……」
 おもむろに腕を伸ばし抱き込むと、気持ちいいくらいすっぽり収まった。そこでやっと、いつもの見慣れた自分の家ではないことに気付く。そういえば、さっき見えた窓の明かりは、すでにかわいらしいカーテンで隠されていた。
 なるほど、とリッドは妙に納得した。ごそごそしだしたリッドに、ファラがはっと息を呑む。
「わ、わっ、ちょっと待って、わたしはいいんだってば」
「よくねえだろ、出かけるわけじゃねえんだし」
「ちっともよくなくない! えっと、だから、もう、寝る時間だ、から、待って……」
 じたばたとファラが抵抗するのもお構いなしに服を開き、手を差し入れて背中に回すと、反射的に華奢な背が弓なりにのけぞる。体同士がいっそうくっつきあうと、リッドはこれだけには、首をひねった。
「何回でもいいじゃねえか、別に」