たった ふたりきり

ロクサスとナミネを、とてもいとおしく思う理由は、ぱっと思いつくだけでもたくさんあるのですが、やっぱこれです。
あの広い広い世界に、同じ境遇なのは、ロクサスとナミネだけということ。
そして二人が、それをよく理解していたことです。

ロクサスとナミネが時折自虐的な考え方をしてしまうのは、その特異な生まれと切り離すことはできません。
二人には肉体も魂もありますが、その出所(すみません、うまい言い方が思いつきません)は杳として不明です。
当人達には元からわからず、また、調べようもない。
いくつかの仮定を持ち合わせる人達ですら、胸の内に秘めるか隠れて書き残すだけです。
(なおかつ、あくまでも仮定であるというのが、世界の深さと広大さの象徴でもあるのです)
わかるのは、あの世界においてどこまでも不確定な存在ということだけ。
だから、自由にどんな場所へも行けるのに、ひとところに留まろうという無意識が働いているのは、それほどにロクサスとナミネが深い孤独の中にいるのを示しています。
(単純に比べる意味での対比は好きではないのですが、物語の前提とした場合のロクサスとナミネは、大人の好奇心の結果であることにいつも戦慄します。二人が子供でなかったとしても、あまりに重すぎるからです)
とくに、ナミネはその傾向が顕著です。
Re:COMでは、言いなりになりながらも満たされた表情をしていました。
最初は腑に落ちなかったのですが、下地をふまえてみると、あれはナミネの孤独を厭う性格を現しているのだと思うようになりました。
ナミネが誰かの為に行動しようとするのは、裏返せば求められたいという欲求でもあり、孤独さの証明でもあります。そのごく普遍的な生理的欲求を叶えようとした故にナミネが自分を責めてしまうのは、すごく辛いのです。
ナミネの恋が、混じりっ気なくソラの役に立ちたいという思いばかりが強く、ある種の信仰に近いのは、責めを負わなければという自覚があるからなのも、涙が出そうになります。
もっと、肩の力抜いて、楽にしてほしいと思うのです。

作中でいつかは明らかにされていないのですが、ナミネがロクサスを知っているというの、すごくぐっとくるんです。同じ時間、同じ場所で生まれたのが、自分だけではなかったというのは、複雑な事情などとはまったく別の、
良い感情がナミネにわきおこったのかもしれません。
自分の意志でディズとリクとは違う行動をとったのは、倫理的にどうかとかは、この際どうでもいいのです。
こんなにも臆病な子がよくぞ…! といっぱいいっぱいほめてあげたくなります。
だって、ナミネが初めて自分の為にがんばったのです。
とてもやさしい子だから、同じ境遇でなくとも、ロクサスに事実を伝えようとするでしょう。
だけど、どちらも助けたい、と欲張ったのは、ロクサスのことが初めてなのです。
そういうナミネの行動が、ロクサスの知りたいという気持ちを生み出す。
屋敷の地下へ向かわず、逃げてもよかったはずです。
思い出したのなら、ロクサスは逃げることだってできたのですから。
けれどもそのまま、迷わず進んでしまうのは、ロクサスの思い込んだらこれ、という感じそのままで好きです。
ロクサスに惹かれてやまないのが、勇気があったわけでなく、ただ利己的だったということ。
ロクサスとナミネがいっしょに生まれ落ちたという、何よりの証なのでしょう。そっくりなのですもの。
また背景にあるのは、ナミネの「また会えるよ」という言葉だというのが、すごくやばいのです。
ロクサスとナミネの運命に対抗しようとする原動力がお互いだったというのは、切実さすらあります。
けれど、ひとりぽっちではなかったと安堵する気持ちも大きいのです。
だから、二人が最期に笑いかけあうとき、励ますかのような慈しみも感じられるのかもしれません。
生まれなどでなく、ロクサスとナミネはお互いの存在を見出すことで、心から笑えるようになった。
あの笑顔こそ、子供たちにしあわせになってもらいたいと思わずにいられない原動力だと、しみじみ思うのです。


  • 2010.07.11